▼本作品は、実は、小説にしても映画にしても、かなり深かった
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多くのアメリカ軍の将兵が、特攻隊の行動を「不可解」であり「非人間的」であると感じていた。日本人がある宗教の狂信的な信者ではないかと思った
『「永遠の0」と日本人』小川榮太郎著
もし、特攻を非人道性や狂気で表現するなら、戦争そのものが狂気である。普通の人間に殺意が生まれることは稀であるにも関わらず、戦争という現象は起こる。個人的な動機のない殺戮が繰り広げられてしまうのだ。では特攻作戦とはなぜ狂気と表現されたか。それは作戦としては「正道」ではなかったからだ。ただし、本当の狂気、特に集団狂気とは、忘我の残虐さと、殺意なき大量殺人として現れる。しかし、特攻作戦は、静かな理性と諦念と勇気があるだけだった
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特攻は、狂気とは最も対極にあったと言える。
1)特攻は、非戦闘員への無差別攻撃ではなかった
2)戦争末期にあって、最大効果が見込める作戦だった
3)事前の研究と実験が短時間にて重ねられた
『「永遠の0」と日本人』小川榮太郎著
日本の軍隊の思想は、欧米の職業軍人とはまったく異なるものだった。特攻とは、武士道の、大東亜戦争における究極の発露だったと言える。それは、組織だった作戦となる前に、個々人の判断で行われていたのだった。しかし、戦局が不利になると、この方法しか残されていなかった。軍人個人にとっても、愛する家族がいる日本を守ることに異論はなかったはずだ
特攻攻撃がアメリカ海兵隊の兵士たちに与えた衝撃と恐怖があまりに大きかったために、極度に過小評価されていた。特攻機の突入成功率はフィリピンで26%、沖縄作戦で14%。その後の史料研究でもこの数字は上がり続けている
『「永遠の0」と日本人』小川榮太郎著
米海軍の機密文書によると、特攻の効果率は敵艦至近になると驚異的な数字を記録している。アメリカ艦隊の激しい銃砲弾をかいくぐって、ボロ飛行機が単身突入していくのであるから、文字通り「驚異」で「脅威」だったことだろう。また、こうした特攻攻撃を受けるアメリカ軍からすると、帰国して華やかな日常に戻るはずだった兵士にとって、そこで死ぬことはまさに無駄死だったに違いない。戦争ノイローゼがむしろアメリカ軍の方で多発したのも必然的なことだった
▼変な議論を巻き起こしてしまった『永遠の0』の大ヒット
日々の鍛錬を欠かさず、機体の整備も人一倍入念。(これらはすべて主人公が生き残ろうとするためのことだったが)当然のことが当然のこととしてまかり通らない「空気」が支配していた時代に、宮部はこの映画の中で、その空気に抗う存在だった。宮部久蔵の生き残るための合理的思考の源泉は、「お国のため」ではなく、徹底的に家族への思いだった。国のためにと思考停止をして、犠牲を賛美すべきではない、という図式にこの映画自体は立っている
特攻というのは搭乗員への死の宣告であり、同時に敗戦を前提とした自暴自棄的な作戦であり、敵側からは命がけで突っ込んで来る恐怖の存在だ。したがって、この作戦に関しては、最大限の非難と批判がされるべき。もっと言えば、「戦争を終わらせることができない」軍並びに政府の指導者の責任感不足、指導力不足のために継続されたものだ。問題は「個々の特攻隊員の悲劇」へ感情移入する余りに、「特攻隊全体」への同情や「特攻はムダではなかった」という心情を否定しきれていないこと。「特攻は自爆テロではない」という主張、そのこと自体は間違っていないが、国軍の正規の作戦命令として「自爆攻撃」を強いたのは、当時、大日本帝国だけなのだ
作品の欺瞞。それは、まず、自爆テロの対象が非戦闘員であると指摘し、敵兵士を攻撃する特攻とは違うのだと主張したこと。他に手段のない、テロリストの同情されるべき状況は無視されている。また、自分も米兵も人殺し、殺さなければ後で殺される、だから戦闘不能状態の相手も撃ったという動機。「特攻で狙ったのは無辜の民が生活するビルではない」と、特攻とテロとの違いを強調したのもこれと同様だが、そもそもこの類の正当化なら、人殺しをどうとでも主張できる。そして、この戦争で犠牲になった外国の視点がまったく無視されている
NHKのドキュメンタリーシリーズで「証言記録 兵士たちの戦争」という秀作があり、ここで語られることの多くは前線の兵士たちの悲惨な体験で、「加害性」についてはあまり多く語られていない。しかし、被害者としての兵士たちに焦点をあてることで戦争の悲惨さを十分に伝えている。これは『永遠の0』も同じで、国家のための個人の犠牲を単に「正当化」した作品とは断定できない。ただし、この小説が映画化されてしまうと、軍部批判や特攻批判等の部分が相当薄まっていた。また、百田氏の言動には同意できないことだらけなのも作品を毛嫌いさせてしまっている
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映画に登場する若い人たちが、「(特攻は)洗脳された狂信的愛国者だろ」「ヒロイズムってやつ?」「お前自分が何者かわかんなくなっちゃってさ、自分のアイデンティティ探してんだろww」「その話興味ありませーん」、この映画に出てくる現世の二十代が適当すぎて哀しかった。ただ、それでも、演者が素晴らしいお芝居をし、ラストシーンも(賛否両論の嵐だけれど)わたしは好きだったぞ
▼「特攻隊」とは何だったのか
不条理としか言いようのない自らの宿命に対して、自分をいったん離れた視点から意味付けをしようともがく(特攻を強いられた人々)。戦争を、肯定・否定というロジックで後知恵でくくるのは簡単だが、それでは上っ面だけになって見えてこない、(彼らの)苦衷をこそ汲み取るべきだろう
NHKスペシャル「学徒兵 許されざる帰還~陸軍特攻隊の悲劇」をみて: ものろぎや・そりてえる
特攻は志願によるという建前がありつつも、実際には選択の余地などなかったことは番組中の証言者も語っていた。「俺も後から続く」と言って送り出した指揮官のほとんどは戦後も生き残った。平気で若者を使い捨てにして、それを志願という建前で正当化する態度には卑しさを感じてしまう。国のために死ぬのはいいとして、何のために死なねばならないのか?こんな言葉があった。「負けて目ざめることが日本の為だ…俺たちはその先導になるのだ」
※参考:保阪正康『「特攻」と日本人』(講談社現代新書、2005年)、吉田満『戦艦大和ノ最期』(講談社文芸文庫、1994年)
や鹿屋、万世ばかりが特攻基地としてクローズアップされるが、他にも基地はあった。たとえば、宮崎基地も陸海併せて387名もの若者が飛び立ち、「散華」した。管理人の言葉「日本の為、日本人の為に戦い命を投げ出し戦ってくれた多くの若き防人達に心より感謝の念を捧げます」と。
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▼「特攻」が象徴した戦前日本の限界〜大きすぎた代償
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「かくまでやらせなければならぬということは、まことに遺憾であるが、しかしながら、よくやった。攻撃員に対しては真に愛惜にたえない」。そして天皇のお言葉は、お誉めの言葉を激励と受け止め、さらに特攻は続けられることになったのである
佐々木伍長は帰還後の再出撃のたびに「体当たり攻撃の実行」を参謀から強く求められたが、あるとき「私は必中攻撃でなくてもいいと思います。そのかわりに死ぬまで何度も行って爆弾を命中させます」と返答したという
Wikipedia and 『図解 特攻のすべて』近現代史編纂会編
体当たりを毅然と拒否した搭乗員もいた。戦死と報告された佐々木友次である。体当たりを命じてくる軍作戦参謀に対して、拒否を続けた。そして軍の側も、故意に何度も出撃命令を出したという。佐々木は最終的に生きて終戦を迎えることができた
その「振武寮」を取り上げたNHKの番組『2007/10/21 NHKスペシャル「学徒兵 許されざる帰還 ~陸軍特攻隊の悲劇~」』内での証言を文字起こししてみた。(振武寮では)罵倒され足腰が立たなくなるほど殴られた。仲間の中には耐え切れず自殺した人もいたという。「お前たち命が惜しくて帰ってきたのか。そんな死ぬの嫌か。卑怯者だとか、死んだ連中に申し訳ないと思わないかとか、そういことを毎日毎日言う訳です。おまえら人間のクズだと。」
▼「特攻」を忘れてはならない本当の理由
日本の軍隊は、個人の人権を徹底的に無視しました。日本軍は平気で兵士を置き去りにしました。職業軍人なら致し方ないが、召集された民間人にまで同じことを強要したのはおかしい。特攻で犠牲になった若者の多くは召集を受けた学生たち。彼らに出撃命令を出した責任者のうち、戦後生き残った人たちは「軍人恩給」をもらった……そこに私はやるせない憤りを感じる(三枝氏)
『特攻とは何だったのか』三枝成彰著、堀紘一著
特攻作戦の罪というのは、生存の可能性のない作戦に若者たちを追い込み、追い込んだ側の大人たちが生き残った。これは純法理的な責任を超えた「道義」というものに行き当たる。→ この表現は、同書を通して出てくる怒りの表明でもあった
※三枝氏は、特攻の出撃が、このフィリピンでの大敗北後にさらに本格化しているのを受けとめて、上述の提案の空虚さに怒りを示している
「特攻のかけ声ばかりでは勝てるとは思えません」
「いまの若い搭乗員のなかに、死を恐れる者は誰もおりません。ただ一命を賭して国に殉ずるためには、それだけの目的と意義がいります。しかも、死にがいのある戦功を立てたいのは当然です。精神力一点ばかりの空念仏では、心から勇んで発つことはできません。同じ死ぬなら、確算のある手段を講じていただきたい」
「ここに居合わす方々は指揮官、幕僚であって、みずから突入する人がいません。必死必忠と言葉は勇ましいことをおっしゃるが…みずからが死を賭しておいでなのか」
「ああいう愚かな作戦をなぜ考えだしたか、私は今もそれを考えている。特攻作戦をエモーショナルに語ってはいけない。人間統帥、命令権威、人間集団の組織のこと、理性的につめて考えなければならない。あの愚かな作戦と、しかしあの作戦によって死んだパイロットとはまったく次元が違うことも理解しなければならない」
「私は、若い搭乗員たちに特攻作戦の命令を下すことはできなかった。それを下した瞬間に、私は何の権利もなしに彼らの人生を終わらせてしまうからだ」
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「特攻」の着想は、元を正せば、何も特別なものではなかったようだ。戦場にあって「センポウ」「シンガリ」を務める決死隊というのは、日本の歴史上、頻繁にあったことだからだ
まとめ編者
人の命を軽視した特攻作戦は、戦場で死ぬることを本望とする日本人にとって、自然な発想だったようだ。特攻兵器の開発も、かなり以前から始まっていた。しかし、これらはそもそも人権を重視してこなかった近代日本のツケでもあった。明治維新以後、近代化や議会開設など、着実に西洋化を進めてきた日本だったが、封建的思想の本質は何ら変わらず、最後には、無謀な戦争を仕掛け、その終結をも決断できなかったことが、日本国民に大きな代償を支払わせる結果となった
▼大東亜戦争の悲惨すぎる結末
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▼大東亜戦争は愚かな選択だったのか
(1941年)12月8日に到るまでの流れを概観してきた。そしてあえて私(著者)は、誰が「日本を開戦に導いたのか」その真の“黒幕”を名指ししてみたいと思う
『あの戦争は何だったのか』保阪正康著
現在、我々が理解する開戦の歴史は、「陸軍の暴走に日本はひきずられていった」というものだ。特に、東条は悪人中の悪人となった。果たして本当にそうなのか。真の黒幕がいるのか。内閣を投げ出してしまった近衛か、(それともやはり)強行な主戦論者として知られる東條か、または開戦回避を決断できなかった天皇か。その答えは同書を参考にしてもらいたいが、御前会議での調査報告では、ある数字が報告された。それは「(当時の)石油備蓄量は二年も持たない」との結論だった。これが直接の開戦の理由になったという
この戦争が決定的に愚かだったと思う理由:「この戦争をいつ終わりにするか」、まるで考えていなかったこと。
『あの戦争は何だったのか』保阪正康著
戦争をするには「勝利」が大前提だろうし、その「勝利」が何なのかを想定していないなどは、本来ありえない。唯一、同氏が見つけた表現としては、まず、蒋介石率いる中国を屈服させ、極東(東南アジア)にある欧米列強の根拠地を壊滅させ、日本の自存自衛の体制を確立させる。そしてイギリスはドイツやイタリアにやっつけてもらう。そうすれば、アメリカの戦意も失せるだろう、という。何とも、他力本願的で曖昧なものだった。こんなレベルの作戦で、何百万人の人々が戦地に駆り出され、命を落としてしまったのだ
無為無策の戦場:ガダルカナル。飛行場を建設…日本の前線基地として要点となる。アメリカ海軍の総攻撃を受けた…次々に部隊を上陸させるが、輸送船は撃沈され、武器弾薬はおろか食糧もなかった。餓死者は1万5000人
『あの戦争は何だったのか』保阪正康著
【編者記載】『永遠の0』でも登場したシーン。ガダルカナルの飛行場を襲撃され、日本軍は怒りにまかせ、次々と軍を投入。半年間も攻防を続けたにも関わらず、弾薬や食糧の補給を考えておらず、戦場では次々と兵士が死んでいった。ラバウルから飛ぶように命じられた宮部久蔵も、この作戦の「無謀さ」を映画では口にしている。日本軍は、いかに希望的観測だけで戦争を行っていたか、そして人命を軽視しての戦いを続けていたかがよく分かる戦いだった
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第一回 実は、松岡洋右を全権とする日本代表団の当初の使命は「手を尽くして国際連盟に残ること」だった
第二回 誤解の重なりあいで、戦争へと前のめりになってしまった陸軍
第三回 世論の「熱狂」を作り、それを止められなくなった
第四回 総合的な国力差80倍のアメリカとの戦いはなぜ決断されたか
第五回 開戦直後の半年に、際限のない戦線拡大が続けられた理由とは
臭いものに蓋と、ただ美辞麗句をちりばめ一元的に語ってきた、いわゆる平和教育という歴史観。一方、その反動として、「大東亜戦争を自虐的に捉えるべきじゃない」と、同じように感情論でしか歴史を見ていない「新しい歴史教科書をつくる会」のような人たち
『あの戦争は何だったのか』保阪正康著
戦後、日本では、歴史を直視するような教育が行われてこなかった。戦争を知ることに不勉強で不熱心。戦争とは決して単純な二元論だけで済まされる代物ではない。何のために310万人もの日本人が死んだのか、きちんと見据えなければならない。「大東亜共栄圏はアジアの独立、解放のためになったのだ」などと、したり顔で言う元高級軍人や政治家を見受けるが、戦後、日本で安穏と暮らしながら、臆面もなくよく言うよと思ってしまう。〜こうした怒りが、著者(保阪氏)の、本書を執筆する出発点ともなったようだ
連合軍がきめつけた「侵略戦争」というよりは、
敗れる戦争をしたことこそが致命的失敗
『なぜ日本は「大東亜戦争」を戦ったのか』 田原総一朗著
頭山満、大川周明、北一輝の三人は日本の近代史の表側には登場しない。が、極めて重要な役割を演じていた。この三人は攘夷派であり、反ヨーロッパ派であったが、アジア諸国とのつながりは重視していた。そして彼ら三人は大東亜戦争に断固反対していた。それは侵略戦争だからではなく、国際的に孤立して負けるに決っている愚かな戦争だと考えていたからである
孫文が生前最後の訪日となった神戸の講演前に面会を切望したのは頭山であった。孫文を頭山が、終始心身両面で支援したという事実がある。内田は頭山の弟分、『支那革命外史』を著して革命支那と改造日本との提携協同によるアジアの独立と復興を強力に主張した。大隈内閣の対支二十一ヵ条要求を真っ向から批判したのは北一輝。他方、アジア主義に基づく日本改造の啓蒙実践を指導してくれと、北に頼みに来たのが大川周明だ。この四人のアジア主義者を、公共の歴史記念館でファシストと呼び中国侵略者とするのは悪意に満ちた歴史の歪曲である
幕末以来続いてきた欧米列強への憤りや対抗心は、思想的には、アジアの独立と繁栄という理想を生み出した。しかし、同時に、日本の利害や既得権益を優先する人々との軋轢によって、日本は右往左往してしまう。それが「大東亜戦争」の正体ではないか
まとめ編者
どれだけ崇高な理想を掲げても、行動で実践できなければ意味がない。ロシアを破り、アジアの希望となったはずの日本が、欧州の権益を手にして、いつしかその権益に溺れてしまう。「溺れる」という言葉がまさに適切だと考える。それにしがみつくがゆえに、満州に投じた資金や移民が膨れ上がった。そして中国・台湾・朝鮮の人々を苦しめる結果となり、後戻りできない日中戦争開戦の動機となってしまう。日本の「溺れ」ぶりは、第一次大戦後の世界新秩序と大いに矛盾し、激しい摩擦を生んだ。その犠牲者こそ、『永遠の0』に登場した人々たちでもあった
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▼物議をかもす歴史認識の見直しや、出口の見えない靖国問題
ちなみに配給はともに東宝で、劇場によっては「風立ちぬ」上映前に「永遠の0」予告編が流れている。そんな話題作を、宮崎監督は「酷評」したことになる。 確かに百田氏は安倍晋三首相と対談するなどしばしば保守的な政治見解を披歴しており、護憲、反戦を強く打ち出す宮崎監督とは主張がかなり違う。百田氏はツイッターで、「悪意に満ちた記事」とつぶやいた。 ところで、元の宮崎監督インタビューを読めば、そもそもの問題発言は、戦後に刊行された元パイロットによる証言への懐疑を語る部分で出ている。むしろ、 監督の批判は「永遠の0」ではなく、「零戦神話」の再生産に向けられていると考えるのが妥当だろう
百田尚樹@hyakutanaoki
日本の戦没者慰霊は、明治維新で斃れた勤王の志士の国事殉難者慰霊と、戊辰戦争で藩主に従い出征し戦死した官軍方戦死者を君主が慰霊する、という前近代的な「忠臣慰霊」が基となっている。靖国神社の前身、東京招魂社に戦死者は祀られた。その後、日清戦争等の対外戦争により、天皇と軍による靖国の祭神化という帝国日本の国家的慰霊のあり方が形成されていく。そして軍国主義にひた走る中、徴兵されていった朝鮮人や台湾人もここに合祀されるに至った
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侵略戦争の計画、準備、開始、遂行、共同謀議を国際法上の犯罪とする「平和に対する罪」(A級犯罪)、捕虜虐待や占領地住民殺害、都市破壊などの伝統的な「戦争犯罪」(B級犯罪)、そして、一般住民に対する非人道的行為や迫害行為を国際犯罪とする「人道に対する罪」(C級犯罪)。A〜C級の違いは、連合国側の便宜的区分に使った分け方である。なお、「A級戦犯」とは、東京裁判の被告人のことだ。戦犯合祀に積極的なのは、旧軍人が属する厚生省引揚援護局であり、まずはBC級戦犯から「目立たない」ように合祀し、大物ぞろいのA級戦犯についてはさらに慎重に進められた。そこには、東京裁判を全面否定する人々の意図があった
戦没者には静かに眠ってもらった方がいい。政府や政治家が「自己主張」の道具(パフォーマンス)に使うのはもう止めよう。日本人が戦争を止められなかった反省と不戦の誓いをすることの方が大切
まとめ編者
毎年夏になると大騒ぎになる政治家の靖国訪問問題。いい加減にしてもらいたい。もし参拝をするなら、政治家のバッジを外し、警備を拒否して、国費を使わずに行ってもらえばいい。政治家とは国民の代表として立法や行政をリードする立場であって、信条を勝手に代弁する役割ではない。特に、国民の愛国心を扇動する政治家ほど卑劣な存在はないからだ
一番いいのは、好きな人が勝手にやればいい。ただし、政治家だけは「公」の立場で関与すべきではない。すべての元凶はここにある。誰ひとり、靖国神社の曲がりくねった背景を代表できる立場にない。憲法で規定した通りである。宗教は政治と離別しておくにこしたことはない。政治家が屁理屈を重ねて、憲法違反行為を重ねるのはあまりにも見苦しい。ましてや、国民の総意に基づかいない戦犯の合祀がなされたところである
▼さて、「大東亜」という理念は、帝国政府の戦略を肯定できたのか。そしてその顛末とは
【東亜新秩序】
この構想の萌芽は,〈帝国指導の下に日満支三国の提携共助〉の実現を決めた1933年10月21日の斎藤実内閣の閣議決定にあった。それは満州事変勃発前後の〈日満ブロック〉構想を一歩進め,〈日満支ブロック〉の実現を国策として決定したものであり,36年8月7日の広田弘毅内閣下の5相会議決定〈国策の基準〉に受け継がれた
大東亜共栄圏 とは – コトバンク
太平洋戦争期に唱えられた,日本を盟主とする東アジアの広域ブロック化の構想とそれに含まれる地域。第2次近衛文麿内閣の発足時の〈基本国策要綱〉(1940年7月26日)に〈大東亜新秩序〉の建設として掲げられ,国内の〈新体制〉確立とならぶ基本方針とされた。これはドイツの〈生存圏Lebensraum〉理論の影響を受けており,共栄圏の用語は外相松岡洋右の発言に基づく。すでに第1次近衛内閣は1938年11月,日中戦争の長期化をうけて〈東亜新秩序〉の建設を声明していたが,大東亜はそこでうたわれた〈日・満・支〉に,広く東南アジア,インド,オセアニアの一部までをも加えた範囲と考えられる
* 日本:東條英機内閣総理大臣
* 中華民国(南京)国民政府:汪兆銘行政院長
* 満州国:張景恵国務総理大臣
* フィリピン共和国:ホセ・ラウレル大統領
* ビルマ国:バー・モウ内閣総理大臣
* タイ王国:ワンワイタヤーコーン殿下
* 自由インド仮政府:チャンドラ・ボース首班
会議の宣言の要約は
(一)共存共栄
(二)独立親和
(三)文化昂揚
(四)経済繁栄
(五)世界進運貢献
「領土的野心はない」という宣伝とは裏腹に、「大東亜政略指導大綱」は満州、中国、タイ、仏印、ビルマ、フィリピンなどの占領地域を日本の支配地域とし、そのうちマライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベス(現在のマレーシア、シンガポール、インドネシア)は「帝国領土と決定し重要資源の供給源として極力これが開発並びに民心把握に努む」(ただし不公表)と決めている。アジア・太平洋戦争はだれがどこから見ても、アジアに対する日本の侵略戦争であった。日本が喧伝した「大東亜共栄圏」とは、「中国、東南アジアに対する日本の侵略を正当化するイデオロギーとスローガン」(『新版日本外交史辞典』山川出版社)だった
大東亜共栄圏の実態
当時としては画期的だった「大東亜宣言」。裏を返せば、欧米のやってきたことが口先だけ立派な、それでいてさんざんアジアを蹂躙してきた歴史だった。しかし、欧米と対立した結果、資源の確保に苦戦し、アジア南方へと支配地域の拡大を目指すことになってしまった日本。ここに不純な動機が隠れていた。実際、占領地域で行ったことはとりあえずの専有と資源の確保、そのために必要なインフラの整備を突貫的に行ってしまったために、植民地統治と変わらない実態になってしまった
▼最後に、映画の感想をまとめておこう
【まとめ編者】もしかすると、このサイト製作者の感想は、今日的には旧~党系の一国平和主義などと言われてしまうのかもしれない。一人の子供の感想文を掲げ、一見美しい「正論」を主張する。しかし、こういう風にも考えたい。「戦争に感動も美談もない」、だからこそ専守防衛以外の戦争は避けなければならないし、最後の最後まで戦争を回避する努力をすべきだ。国家が、国民の命を踏み台にしてまで得なければならないものなどない。戦後に偶然得られたこの理念こそ、日本が誇るべきものだと考えるのは編者だけだろうか
同評論の筆者・酒井まど氏の指摘は辛辣だ。百田氏の小説に対し、「ネトウヨたちが戦争の悲惨さや狂気を見ずに、自分は戦場に行く気などさらさらないのに、日本を守るために他国を攻撃するのがなぜ悪い」と叫んでいるようなものだ、という。「死にたくない」「生きて帰りたい」と日常的に公言する主人公の設定にも疑問を呈している。ネトウヨや百田氏の発言に対し、このまとめ編者も、同じ思いである。ただし、この作品を現在の国民に捧げるのだとしたら、エンタメ的ストーリーと、今日的価値観の人物設定はやむを得ないとも考える。むしろ、本作品をきっかけに、日本人が関わった戦争の歴史が、再び注目されるのは望ましいことである
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