“ゴーストライター”新垣氏 衝撃の記者会見 TV放送分ほぼ全書き起こし

hiiro0517
非常に興味深い記者会見だったので全文ではありませんが自分で書き起こしてみました。

▼新垣隆氏(43歳)が6日、東京都内で「ゴーストライターを18年間続けていた」ことに関する謝罪記者会見を行った


https://matome.naver.jp/odai/2139166732610669801/2139169105328807103
会見の様子は「情報ライブミヤネ屋」「ニコニコ動画 ニコニコ生放送」でライブ中継された

https://matome.naver.jp/odai/2139166732610669801/2139169105328807203

▼主なポイント

◎佐村河内さんについて「耳が聞こえないと感じたことはない」

◎(指示書は)「ある種のヒント。机の横において作業をした。私が作曲する上で必要な物だったとは思う」

◎「18年で20曲以上提供し、700万円前後受け取った」

◎ごく最近まで新垣氏としては「ゴーストライターであることに徹していた」

▼冒頭コメント

「私は佐村河内氏と出会ってから18年間に渡り、彼の代わりに曲を書き続けてきました。佐村河内さんが世間をあざむいて曲を発表していることを知りながら、指示されるまま曲を書き続けた私は、佐村河内さんの共犯者です」

「障害をお持ちの方、また彼の言葉を信じて曲をお聴きくださった非常に多くの方々、見事な演奏をしてくださった演奏家の皆様、本当に申し訳ありませんでした」

「当初は軽い気持ちで曲を書くことを引き受けました。彼を通じて私の書いた曲が世の中に受け入れられ、嬉しかった気持ちがあったことは否めません」

「しかし、彼がどんどん世間に知られるようになり、それにつれてやがてこの関係が世の中に明らかになってしまうのではないかと不安を抱くようになりました」

「同時にこれ以上自分の大好きな音楽で世間を欺きたくないという気持ちが私の中で大きくなってきました」

「私は何度かに渡り、彼に対してこんなことはもうやめようと言いました。しかし彼は聞き入れてくれませんでした。また、あなたが曲を書かないと私は自殺すると言いました」

「そのような中、フィギュアスケートの高橋大輔選手がソチ・オリンピックで滑る際に、私の作曲した『ソナチネ』を選ばれたことを知りました。このままでは日本を代表してオリンピックで活躍する高橋選手までもが、彼と私の嘘を評価する材料になってしまうと思いました」

「しかし同時に、この事実を知った高橋選手が受けるショックのことを考えると、今公表するべきかどうかとても迷いました。ただ、このまま私が何も言わず、高橋選手がオリンピックで競技された後に事実が発覚した場合、高橋選手は、やはり非常に戸惑うのではないでしょうか」

「さらには偽りの曲で演技したではないか、と世界中から日本に非難が殺到するかもしれません。いろいろと考えた結果、高橋選手には、この事実を知った上でオリンピックで堂々と戦っていただきたいと思い、本日このような会見を開かせていただくことになりました」

「高橋選手、そして音楽作品を聴いてくださった皆様には、本当に申し訳ないことをしたと思っています。深くお詫び申し上げます」

▼質疑応答「佐村河内守氏と知り合ったキッカケ、やめようと思ったことはあったか、佐村河内守氏の耳が聞こえないということについて

(テレビワイドスクランブルのアズマ氏)「18年前、そもそも新垣さんと佐村河内守さんとはどのようなキッカケで知り合ったのかというのが一点、18年の間に一切やめようというタイミングがなかったのか、全部押し切られてしまったのかというのが二つ目、耳が聞こえないとのことでしたが、そうではないではないのかというようなエピソードがあれば教えてください」

(新垣氏)「彼とは知人を介して紹介をされましてお会いしました。彼が映画の音楽を担当することになり、彼が必要としたオーケストのための音楽をできる人を探してほしいという相談を知人が受けて、彼から私のところに連絡がきました。最初の出会いはそのようなものです」

(新垣氏)「やめようと思いましたのは、できるならば早い段階で…というのは、彼の映画ですとか、ゲームの音楽のお手伝いという形で、私はアシスタントとして関わっていた、そのような認識を思っていました。その中においては、それはゲームであり映画を作るためのスタッフの一人であるということで、とくに問題を感じてはおりませんでした。彼がある時期から、自分は耳が聞こえないのだ、という風なことを世間に対して態度をとったとき、そしてその上で彼の名で私が曲を書いてそれを発表をすることになった時点で、それは非常に問題があるという思いがしたのですが、そこではまだやめようということではなく、彼に従い、私も曲を書き続けました。去年の5月にピアノの曲を提出したとき、もうこれ以上はできないと私は思いました。そこから彼に何度かもうこの関係を続けることはやりたくないということを伝えました」

(新垣氏)「やめようと思いましたのは、できるならば早い段階で…というのは、彼の映画ですとか、ゲームの音楽のお手伝いという形で、私はアシスタントとして関わっていた、そのような認識を思っていました。その中においては、それはゲームであり映画を作るためのスタッフの一人であるということで、とくに問題を感じてはおりませんでした。彼がある時期から、自分は耳が聞こえないのだ、という風なことを世間に対して態度をとったとき、そしてその上で彼の名で私が曲を書いてそれを発表をすることになった時点で、それは非常に問題があるという思いがしたのですが、そこではまだやめようということではなく、彼に従い、私も曲を書き続けました。去年の5月にピアノの曲を提出したとき、もうこれ以上はできないと私は思いました。そこから彼に何度かもうこの関係を続けることはやりたくないということを伝えました」

(新垣氏)「耳に関しては、私の認識では、初めて彼と会ったときから今まで、とくに耳が聞こえないということを感じたことは一度もありません」

▼「聴力について確認、曲の指示と作り方について」

(日本テレビスッキリのオオタケ氏)「ということは通常どおり、まあ一般の人が会話するとおりに会話ができたということでよろしいでしょうか?」

(新垣氏)「はい」

「彼から『現代典礼』で曲を書いてくれと言われたとき、これ(指示書?)を見てどう思ったのか、これを見て新垣さん自身音楽が生み出せるものだと思ったのか、生み出せたのか、お聞かせください」

(新垣氏)「彼からは一枚の図表をもらったわけですけれども、それと同時に彼との会話により、彼が非常に大きな編成で、非常に大きな長さの曲を書いてくれないかと、そのように依頼があり、で、その図表は、実際の作品の曲の例えば成り行き、実際の成り行きとはまったく異なりますけれども、ただまあ私があの図表を机の横に置くということで、それをある種のヒントとして、私が作曲する上では必要な物だったとは思います」


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▼「契約形態について」

TBS朝ズバのオクダイラ氏「二人の契約形態などはあったのでしょうか。印税などお金の管理はどういうようにされていらっしゃいましたでしょうか」

(新垣氏)「彼が依頼をし、私が作曲をし、彼に譜面を渡し、それによって私は報酬を受け取りました。印税に関しては私はまったく関係がありません」

▼「佐村河内氏の耳が聞こえることに関して具体的なエピソード」

フジテレビとくダネ!キノシタ氏「新垣さんが何か曲などを持って行って、それを佐村河内守さんが聞いて、もっとこの音は高くとかしようとか、速くしようとか、(彼の)耳が聞こえるということに関してエピソードがあったら教えてください」

(新垣氏)「ただいまおっしゃったようなことはありました。私が録音したものを彼が聞き、彼がそれに対してコメントをするというシーンは何度もありました」

「それでは佐村河内氏は耳が聴こえないことを装っていたという認識でよろしいんでしょうか」

(新垣氏)「はい」

▼「『ピアノのためのレクイエム』について。また共作という形は考えなかったのか」

フジテレビめざましテレビ軽部氏「『ピアノのためのレクイエム』という作品がありました。テレビのドキュメンタリー番組の中で佐村河内さんがとにかく曲が浮かばないと苦悩している姿、そして現場の女川の海まで行って6時間も寒さの中で一生懸命曲を絞り出そうとしていた姿、そしてようやく曲が完成したというところまで我々はテレビで目撃をしました。しかしそれは佐村河内さんが作っていた曲ではないということになりますけれども、新垣さんはそのテレビでの苦悩している佐村河内さんをご覧になって何を感じたのか、あれはすべて演技であったということなのか、それともあのとき本当に彼は苦悩していて、そこで生まれたアイデアを新垣さんに伝えてからあのレクイエムを作ったのか聞かせてください」

(新垣氏)「彼がどのような気持ちであのようなシーンを撮られたのかは私にはわかりません。ただ私は彼から依頼を受けて、やはり何か被災者の方のために曲を書きたいとは思いました」

「演技だったとお考えですか」

(新垣氏)「私はそう思います」

「彼との共作という形で発表することは考えなかったのでしょうか」

(新垣氏)「そのようなことは私からも提案はしなかったです。あくまで彼のゴーストライターであるべきだと思っていました」

▼「報酬について」

(産経新聞クシダ氏)「ゴーストライターとして曲を書いた報酬はいくらくらいだったのでしょうか」

(新垣氏)「18年間、20曲以上提供しました。はっきりとした金額はちゃんと調べていないのですが、700万前後だと思います」

▼「名前を出さなかったことについて」

(よみうりテレビミヤネ屋の中山氏)「先ほど(新垣氏が)『表に名前を出したい理由はない』とおっしゃっていましたけれども、であればこの(佐村河内サイドの)コメント(恐らく「新垣氏には名前を出したくない理由があった」というもの)、あたかも新垣さんのために名前を伏せたんだというような言い方に聞こえるんですが、このコメントについてはどういう風に思われますか」

(新垣氏)「ゴーストライターが前に出てはいけないわけですから。ただそれだけのことだと思います」

▼「みっくんとの関係について」

テレビ朝日報道ステーション竹内氏「フィギュアスケートの高橋大輔選手がオリンピックで使用する『バイオリンのためのソナチネ』は、当初義手のバイオリニストのみっくんに送られた曲だったと思うんですけれども、新垣さんとみっくんの関係について教えてください」

(新垣氏)「彼女とは、彼女がバイオリンを始めた頃からバイオリン教室で私が伴奏していたので、そのころからの関係です」

「みっくんのご家族からは佐村河内さんに対する相談などはあったんでしょうか」

(新垣氏)「はい、まあそういうことが一回ありました」

「どういった内容ですか」

(新垣氏)「それは雑誌に書いてあると思うんですけれども」

▼「700万円の返還は考えていないか」

日刊スポーツ横山氏「先ほど700万円ほどの報酬をもらっていたというお話がありましたが、それを返還するとか、もしくは今後、CDを買われた方々、演奏された方々に賠償のような形をとることはお考えでしょうか」

(新垣氏)「私の気持ちでは彼に報酬を返すことは考えていません。演奏家の方に対しては、私は非常に感謝の念を持っています。それをお伝えしたいと思います」

「佐村河内さんが曲を作ったと思ってCDを買った人がたくさんいらっしゃると思うんですけれども、そういう方々についてはどういう対応をされますか」

(新垣氏)「それは大変申し訳ないことをしたと思っております。本当に申し訳ありません」

▼「曲のイメージの伝えられ方、また著作権について」

(共同通信フワ氏)「佐村河内さんから伝えられていた楽曲のイメージは具体的にどのようなものだったか詳しく。また今後、楽曲の著作権を主張されるのかどうかをお聞かせください」

(新垣氏)「彼は言葉のみならず、いろいろなクラシック音楽のレコード、CD 、録音などをたくさん聞きました。それで、彼なりに、自分の(表現)したいものをその中から選んで、私に提示するということもあります。あるいは先程の図表であったり、言葉であったりというところです。著作権に関しては、私はもうまったく、放棄したいと思います」

▼「クラシック業界について。また佐村河内さんのピアノ演奏力について」

(NHK菊池氏)「雑誌の記事にも出てたんですけども、佐村河内さんはピアノを弾いたのを目撃されたりとか、ピアノを弾けない状態と言えるというようなコメントをされてたと思うんですけれども、そのことをお聞きしたいのと、もう一つは、新垣さんはいろんな自分の曲がオーケストラで演奏されたことに喜びを感じたとおっしゃっていましたが、なかなか無名の作曲家としてそういうチャンスがない、デビューしにくいといった、今のクラシックの業界に対する不満というか思いみたいなものがあったら教えてください」

(新垣氏)「今の質問(クラシック業界について)に対しては、とくに不満を持っている、今の状況に不満を持っているということはありません。作曲家が、自分の作品を発表するための場は、決して貧しい状況とは思っておりません。それから、彼は、非常に初歩的なピアノの技術のみ、であります」

▼「佐村河内氏との会話について」

(共同通信加藤氏)「佐村河内さんが会話が可能であることはどのくらいの人がご存知だったんでしょうか」

(新垣氏)「私は彼と接触をするときは、ほとんど私と2人だけだったです。そこでは、ごく普通のやりとりをしていたということです。それ以外で彼と会うということはありませんでした」

▼「著作権について」

(テレビ朝日村山氏)「著作権を放棄されるという話がありましたが、著作権をすでに佐村河内さんに譲渡しているというのはあるのでしょうか。(曲を)提供された際にすでにそういう話し合いをしていたということはないのでしょうか」

(新垣氏)「そういうような話し合いは一切しておりません」

「この問題についてJASRACと話し合いはされていますか」

「私はそれには一切関わっておりません」

▼「NHKのディレクターやコロムビアなど関係者は知っていたのか。また露見しないための工作について」

(朝日新聞カンバラ?氏)「レコード会社の日本コロムビアや、密着取材をしてしたNHKのディレクターさんなどもこの事実は一切知らなかったということで認識されているんでしょうか」

(新垣氏)「私はNHKの方やコロンビアの方とのコンタクトを取っておりませんでしたので、それはちょっとお答えできないです。私はまったく知らないです」

「二人の関係が露見しないために、何か佐村河内さんが工作というか、バレないような、こうしようああしようという持ちかけは、どんなことがあったんでしょうか」

(新垣氏)「私に対してでしょうか。それは一点、私が作っているということを口外しないということのみだと思います。それについて私にも、そうすべきでないと思っていたのです。偽名を使ったのは一回でした」

▼「佐村河内氏に関係をやめたいと伝えた経緯」

(デイリースポーツ?氏)「最初のお話で、昨年5月にもう無理だということをお伝えしたという説明があったかと思うんですけれども、昨年5月にそう思った決定打みたいなのが、徐々に気持ちが膨らんでいったのか、それとも何らかのキッカケがあってやっぱ無理だと思って切り出したのか、その気持の変化みたいなことを教えていただきたいのと、そのあと何回かお話したというのはあくまでも去年の5月以降のことということで把握していいのか、教えてください」

「5月に曲を提出した段階で、私の気持ちでもう続けていけないと思い、それを告げたのはその後でした。7月に彼にそのことを伝えました。さらに12月、もう一度彼に要求しました。でも、それはうまくいかなかったので、今の時期になりました」

▼「『現代典礼』が『HIROSHIMA』に変わっていった経緯について」

(TBSナガタ氏)「『現代典礼』という曲を作るに至った経緯と、それが「HIROSHIMA」という曲に変わっていった経緯、それに対する新垣さんの心境をお聞かせください」

新垣氏「ゲームの音楽のための曲を作り、CDが発売されました。それがユーザーの方たちの中で評判を得ました。それでそのあと彼から、一枚のCDに収まるような、ゲームではなくオーケストラのための作品を作りたいという希望を聞きました。それを、発売するものだと、それを一年間で作ってくれ、ということで引き受けました。で、それは、結果的には、私はわからないのですが発売はされませんでした。で、それはそのままになっていました。もちろんそのときには、『HIROSHIMA』というタイトルではありません。数年後、そのオーケストラ作品が『HIROSHIMA』という名で発表されると聞いたときには大変驚きました」

▼「改めてバイオリニストのみっくんについて」

(テレビ朝日報道ステーションタカバ氏)「改めてみっくん、そしてご家族への思いと、今後お付き合いをしていくお気持ちがあるのか教えてください」

(新垣氏)「彼女にはぜひ、あの曲を弾いてほしいと思っています。彼女と、家族の皆様に対しては、これからも音楽を通じてコミュニケーションをしていきたいという思いが強くあります」

▼「今後の身の処し方について」

(産経新聞?氏)「新垣さんが今回こういう会見をして謝罪をするのは一つのけじめだと思うんですけれども、その他に今後の社会的な部分を含めての今後の身の処し方を教えてください」

(新垣氏)「できることならば、今後も私の音楽の仲間たちとともに、音楽活動を続けていきたいと強く思っています」

▼「曲への思い入れについて」

(フリーランス江川紹子氏)「みっくんにこの曲を弾き続けてほしいとおっしゃいましたけれども、その一方で著作権については放棄したいというお話もありました。ご自身でこの曲は残したい、この曲は違うというような切り分けがもしあるのなら教えてください。また、自分の音楽と佐村河内氏の音楽を作る際の気持ちが違ったかどうかというのも教えてください」

(新垣氏)「佐村河内さんのために作る、曲を書くという面ももちろんありました。彼との関わりの中で、作品が生まれるということなのですが、それはやはり彼との共同作業であると私はすべての作品において思うのです。と同時に、もちろんすべての作品は私のできる限りの力の範囲で作るものであり、そういう意味では、一つ一つが大事なものです」

▼「なぜ今、告白をしたのか」

(読売新聞?氏)「なぜ週刊誌上での告白という形を取ったのでしょうか。高橋大輔選手が出場するソチ五輪が開かれますが、この時期の発表には、厳しい言い方ですが、売名行為という見る向きもあると思います。そのあたりのことを」

(新垣氏)「高橋選手が、偽りの状況…こちらサイドの話にすぎないのかもしれませんけれども、こういう状況のまま踊って(滑って)いただくことは非常によくないことではないかと思いました」

▼「障害手帳について」

(夕刊フジ斉藤氏)「佐村河内さんの障害者手帳ですとか、何かそれを証明する公の書類を見たことあるんでしょうか」

(新垣氏)「一度だけ見せられたことはあります」

「何をですか?手帳ですか?」

(新垣氏)「(うなずく)」

「何級とかは?」

(新垣氏)「そういうのは私はちょっと、記憶にないです」

「いつ頃ですか」

(新垣氏)「それは彼が、自分の耳が聞こえないと世間に、そのようなスタンスをとった直後です」

「彼が35歳のときですか」

(新垣氏)「そのあたりだと思います」

▼「佐村河内氏がどの程度作曲に関わっていたかについて」

(朝日新聞今村氏)「佐村河内さんがどの程度作曲に関わっていたかできるだけ具体的に教えてください」

(新垣氏)「ピアノの鎮魂曲の場合ですと、まず私がいくつかの音のモチーフを…モチーフというのは音楽の断片のようなものなんですが、それをいくつか提示をし、譜面を書き、ピアノで録音し、それを彼が聞き、その中から、彼がいくつか選んだ断片をもとに、あとは私が作曲、全体を構成する、というプロセスでした」

「そうすると、耳が聞こえないと譜面上のやりとりになると思うんですが、そうではなく、実際に音楽、ピアノを聞かせて、佐村河内さんがこうしてほしいというようなやりとりがあったと考えてよろしいですか」

(新垣氏)「(うなずく)」

※「ミヤネ屋」では放送ここまで(略したのは2、3問です)。以降はニコニコ動画にて視聴。要旨のみ羅列します

◎(佐村河内氏は)障害者ではないと思う。「それは違うのではないかと思います」

◎佐村河内氏が全聾であると演じたことについて「『これからはそういう形でいく』ということを聞いたことはあります」「ゲームの音楽が発表された後です」

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