時折話題になります

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アルバイト歌手、小門真人
いつものつもりで受けたバイトの話。ただ、バイト代に1万円の“色をつけてもらった”のがいつもと違っていた。
【1976年1月】およげ!たいやきくん/子門真人 5万円のバイトで歌い大変なことに — スポニチ Sponichi Annex 芸能 365日 あの頃ヒット曲ランキング 1月
歌手になる前は広告代理店に勤務していた。
1966年、「藤 浩一」の芸名で歌謡曲の歌手としてデビュー。シングル5枚を出すが、ヒットに恵まれずに1年半後に引退する。1968年にフジ音楽出版に入社。
その後も音楽活動自体は継続して行い、GSグループへの楽曲提供を行ったり、アルバイトとしてCMソングを歌っていた
子門真人 – Wikipedia
1971年に一曲2万5000円のアルバイトで『仮面ライダー』の主題歌「レッツゴー!! ライダーキック」(朝日ソノラマ制作、ミリカ音楽出版)を歌ったのですが、のちに藤岡弘版に差し替えられてしまいます。このように、一枚売れるといくらといった印税契約など頭に浮かばない生活を送っていた境遇が推測されます。
1976年1月、『およげ! たいやきくん』発売へ
フジテレビの子供向け教育番組「ひらけ!ポンキッキ」の中で流れた「およげ!たいやきくん」は日本の音楽業界、空前絶後のシングル盤売り上げ枚数455万枚を記録。オリコンチャートで76年の年明けから11週連続で1位を独走。1週間で50万枚も売れた週もあり、生産が追いつかなかったほどだった。
【1976年1月】およげ!たいやきくん/子門真人 5万円のバイトで歌い大変なことに — スポニチ Sponichi Annex 芸能 365日 あの頃ヒット曲ランキング 1月
ところが……、
「子どもの歌。売れてもたかがしれている」。安易にそう考えた子門だった。
【1976年1月】およげ!たいやきくん/子門真人 5万円のバイトで歌い大変なことに — スポニチ Sponichi Annex 芸能 365日 あの頃ヒット曲ランキング 1月
発売したポニーキャニオンは、会社始まって以来の大ヒットに本人はおろか会社がビックリ。笑いが止まらぬくらいにレコードが飛ぶように売れ、ついに新社屋は「たいやきくんビル」とまで陰では言われるほどに。子門はと言えば、テレビ出演のギャラや各賞の賞金などは手もとに残ったものの、レコードが売れても1銭も入れず。題材にされたたい焼きも面白いように売れるのを眺めているしかなかった。
結局、子門が会社から受け取ったのは、5万円と、あとからプレゼントされた白いギターのみだった。
その後は
これを機に子門はテレビに頻繁に露出するようになる。続けて発売された「ホネホネロック」も大ヒットしたが…
広告代理店を経て夢だったミュージカル制作に取り組んだが、うまくいったとはいえず、93年に人知れず音楽の世界から去った。敬虔なクリスチャンであり、子門の芸名は洗礼名からきているという。
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本名は藤川 正治(ふじかわ まさはる)。代表曲「およげ!たいやきくん」をはじめ、子供番組・アニメ番組で多くのヒット曲を持つ。