戦争と宗教:どのような論理で人殺しを許容するか?
キリスト教の場合
歴史をたどれば比較的明確です。
①多神教徒や異教徒は排除していい・・神を理解しない非文明世界も排除していい(=殺してもいい)・・
②神の正義に反するものは、場合によって殺していい・・
近世では、自由平等博愛を明確に志向しますので・・自由を抑圧する権力やファシストや資本の論理に奉仕する資本家や奴隷主、平等に反する人種民族主義や人権無視や男女不平等主義者、博愛に反する人権抑圧・弱者虐待・テロリスト・動物虐待自然破壊者は、場合によっては殺してもいい・・
神の一神性と神の(名の下の)正義の実現です:この2軸でしょうか?
1175.戦争と宗教:どのような論理で人殺しを許容するか? – 脱脂粉乳世代 – Yahoo!ブログ
太平洋戦争がはじまって南太平洋地域が戦場となると、現地の人々の主要な信仰がキリスト教に変わるため、プロテスタントやカトリックの指導者たちが日本から動員され、宣撫工作に努めた。もはや米英は敵であり、キリスト教の動員についてあれこれと配慮する余裕も必要もなかった。
戦局が悪化し、各地で玉砕が展開されはじめ、本土決戦が現実味を帯びてくると、浄土真宗は一向一揆の精神を呼び覚まし、いまこそ国家のために「殉教」すべきだと門徒に呼びかけた。本願寺派の法主は、街頭に立って自らそう叫ぼうと計画していたが、その二日前に戦争は終わり、計画は中止された。
『日本の戦争と宗教 1899–1945』著:小川原正道 「戦時下の宗教」が語りかけるもの | 読書人の雑誌『本』より | 現代ビジネス [講談社]
『日本の戦争と宗教 1899–1945』著:小川原正道 「戦時下の宗教」が語りかけるもの | 筆者は講談社選書メチエから、『日本の戦争と宗教 1899–1945』を上梓した。二〇一〇年に同シリーズから出した『近代日本の戦争と宗教』の続編であり、前回が戊辰戦争から日露戦争までを扱ったため、今回は第一次世界大戦から太平洋戦争までを対象としている。
戦争と宗教で始まり人類滅亡へと続く・・ 宗教家が平和と言えば信じないのまとめ
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2017年10月03日