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貧しかった少年時代 父の背中に学ぶ
私の父親は復員軍人、しかも傷痍軍人だったんです。若いときに兵隊に行って、10年くらい戦争に従事したんですが、途中で爆撃機の操縦士になってね。それで終戦直前にアメリカの戦闘機に打たれて、足を負傷したんです。野戦病院に入っているときに終戦になって命が助かるわけですけど、同僚のほとんどは特攻隊で死んでいます。
第10回弁護士 宇都宮健児さん-その1-サラ金被害者は俺が救う!落ちこぼれ弁護士の逆襲|魂の仕事人|人材バンクネット
田舎は愛媛県の小さな漁村でしてね。すごく畑の少ないところで、海岸は段々畑でね。そこで農家をやっていたんですね。でも父は7人兄弟の6番目だったから、田舎に帰ってきても畑がないわけですよ。だから他人の畑を借りて芋や麦を作ったりしてたんですね。
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夏なんかは、伝馬船、櫓(ろ)で漕ぐ船ですね、それに乗って釣りをしてました。
親父は朝まで釣る。釣った魚を売って家計の足しにしてたんですね。
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私が小学校3年のときに、一家で大分県の国東半島に開拓入植したんです。
開墾して畑ができて、作物ができると子供たち含めて家族総出で収穫作業や出荷作業をやってね。生活は苦しかったけれど、家族の連帯感はありました。そういう親の姿を間近で見て育ったんですね。
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私は、誰よりも父を尊敬しています。なぜなら、人一倍器用に魚を釣ることができ、誰にも劣らず上手に農作物を作ることができるからです。
弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖
熊本県立熊本高等学校卒後。東京大学に入学し、駒場寮で暮らす。
自分だけが出世コースを歩み、エリート官僚や銀行重役の特権的地位に収まっていいものか。私の家は豊かになったとしても、自分を育んでくれた田之浜や国東半島の人たちが貧しいままでよいのか。それを黙って見過ごすのは、人間の生き方として卑怯なのではないか――。
弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖
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親を思って東大中退 司法修習生を経て屈辱のイソ弁スタート
生活費は親から仕送りしてもらってました。傷痍軍人だった父親の恩給からね。でも司法修習生になると、公務員と同じ扱いで給料が出るんですよ。だから親に迷惑をかけないで、自活できるんですね。それで卒業よりも司法修習生の道を選んだんです。
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イソ弁生活で、事務所の事件はやって給料はもらっているんだけど、なかなか独立できる基盤が作れなかったわけです。スケジュール帳なんか真っ白でね、仕事がないから。
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※イソ弁=「居候弁護士」の略とも「いそぎんちゃく弁護士」の略とも言われる。独立して事務所を構える弁護士に対する、勤務弁護士の俗称
私は社交性があるほうではなく、人付き合いは得意ではありません。
弁護士、闘う―宇都宮健児の事件帖
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クビを言い渡されたときは本当にショックでしたね。「おまえは要らない」といわれるのは、全人格を否定されることなんですね。それまで僕は貧しいながらエリートコースを歩んできてると思っていただけに、相当落ち込みました。
第10回弁護士 宇都宮健児さん-その2-絶望の底で出会ったサラ金事件|魂の仕事人|人材バンクネット
2度目の事務所、運命を変えたサラ金問題との出会い
そんなある日、弁護士会から「サラ金の多重債務者の相談に乗ってくれないか」って連絡が来てね。
取り立て屋との死闘「ここでビビってナメられたら終わり」
宇都宮けんじ@utsunomiyakenji
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