ACミランの10番は外国人ナンバーワン選手が背負う番号
日本代表MF本田圭佑(27)=CSKAモスクワ=が、来年1月には相思相愛のイタリア・セリエAのACミランに完全移籍する方向となった。背番号は本人の希望もあり、ACミランのアジア人選手では史上初となる「10番」となることが決定的だ。
本田、ミラン移籍も背番も決定的 アジア人初!の「10」 外国人No.1の背負う“称号” – スポーツ – ZAKZAK
まさにビッグニュースだ。アジア人選手としてミランの10番をつけるのは本田が初めてのこと。ミランのエースナンバー「10」といえば、1987年に加入したオランダ代表のフリット以来、外国人ナンバーワン選手が背負う番号なのだ。
本田、ミラン移籍も背番も決定的 アジア人初!の「10」 外国人No.1の背負う“称号” – スポーツ – ZAKZAK
ルート・フリット
フリットのプレーは筆舌に尽くし難かった。褐色の肌にドレッドロック・ヘア、外見も異質だがプレーはそれ以上で、これまでに登場したいかなる名手とも似るところがなかった。186センチ83キロの巨体だが、がっしりしているにもかかわらず、鈍重さとは無縁だった。スピードとパワーのたっぷりつまった両足を、泉のように涌き出る体力で支えた。それでいてボールタッチは繊細で、攻撃に関して類まれなセンスを発揮した。カリスマ的な存在感を示し、チームの雰囲気を決定的に左右した。
◆名選手伝説第5
最も輝かしい6シーズンを過ごしたせいで、フリットというと「赤と黒」のユニフォームのイメージが強いようである。実際、ACミランで彼は栄光の全てを手に入れた。当時、マラドーナに次ぐ破格の移籍金(約12億5000万円)で、ファンバステンとともに引き抜かれ、全盛期の「神の子」率いるナポリと対戦した際には、無敗の王者に4ー1で土をつけ、地元誌『ガゼッタ・デロ・スポルト』に9・5の高採点を貰う大活躍。FWとしてプレーし、ミランの20年ぶりのリーグ優勝(87ー88)に大きく貢献した。この業績により、欧州最優秀選手賞(バロンドール)に選出される。名実ともに世界を代表する選手として認められた瞬間だった。
◆名選手伝説第5
デヤン・サビチェヴィッチ
オランダトリオを失った後の1993/94シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝、ミランvsバルセロナ。劣勢が予想されたミランだったが、4-0という大差でバルセロナを退けることに成功する。サビチェビッチは全ての得点に絡む活躍を見せ、バルセロナの中盤は彼のドリブルによって混乱に陥り、堅い筈の守備は彼のパスとシュートによって脆くも崩れ去った。ジュニオの本領が遺憾なく発揮された試合だった。
+++サッカー名選手館+++デヤン・サビチェビッチ(Dejan Savicevic)
ズヴォニミール・ボバン
屈指のテクニシャンとして評価されていましたが、同時に闘争心あふれるファイターでもあり、国際的な正義のヒーロー『怪傑ゾロ』にちなみ、“ゾロ・ズボーネ”と称されました。そのボバンが得意としていたのが、後ろからの縦パスを華麗にトラップしながら、守備者をかわして裏に抜け出すプレーです。視野も広く、チャンスの起点にもなれるセンスは現在の本田選手に通じるものがあります。意思が強く、思ったことをはっきり口にするところも本田選手に似ていて、今後の活躍によっては本田選手をかつてのボバンに重ね合わせる地元のファンも出るかもしれません。
本田圭佑選手のACミランでの背番号は? 歴代10番を振り返る | サカイク
ルイ・コスタ
「魔術師」と称される創造性豊かなパス技術を持ち味とするMF。ベンフィカでレギュラーとして活躍した後、イタリアへと渡り、フィオレンティーナではバティストゥータとのコンビでリーグを席巻。欧州屈指のファンタジスタとして高い評価を得ると、01年にはミランに引き抜かれ、同クラブでもレギュラーMFとして活躍した。代表では、91年ワールドユースの優勝メンバー。02年W杯では怪我の影響で精彩を欠いたが、EURO2004では控え中心ながら少ない出場機会の中で高いパフォーマンスを披露し、準優勝に貢献した。
ルイ・コスタ | WCCF NAVI
クラレンス・セードルフ
ミラン時代の2002/03シーズンには自身3度目となるUEFAチャンピオンズリーグ優勝を経験。3つの異なるクラブでの同リーグ制覇は前例が無く、サッカー史に燦然と輝く功績を上げたプレーヤーとして、この先もセードルフの名は語り継がれていくことだろう。
クラレンス・セードルフ – Wikipedia
数多くの名選手を輩出してきたアヤックス・アカデミーにおいても、”最高傑作”と言われている。 また、学業においても非常に優秀であった。 その一面として、超一流のサッカー選手でありながら、会社経営にも真剣に取り組み、練習場には、他の選手たちはそれぞれ自慢のスポーツカーでやってくるそうであるが、彼は運転することはなく、経済紙を読む時間として充てている。
クラレンス・セードルフ – Wikipedia
ケヴィン=プリンス・ボアテング
11月23日、ジュゼッペ・メアッツァを最も沸かせたのはケヴィン・プリンス・ボアテングだった。バルセロナを相手に1-2の劣勢で迎えた54分、味方をも驚かせるような強烈なシュートを敵ゴールに突き刺してみせたのだ。左右の足を巧みに使ったボールタッチ、スピードを失わない見事な動き、そして決定力。彼の計り知れないポテンシャルは、このワンプレーに凝縮されていた。
【インタビュー】ケヴィン・プリンス・ボアテング「進化をやめない野生児」 – サッカーキング
ワールドカップ本大会では持ち前のダイナミックなプレーでガーナ代表の中盤を支え、決勝トーナメント1回戦のアメリカ戦では先制点を奪い、ベスト8進出に大きく貢献した。
ケヴィン=プリンス・ボアテング – Wikipedia