【ミスターGLAY!】珠玉のTAKURO語録

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GLAYのリーダーで「loversoul music & associates」の代表取締役であるTAKUROさんの名言をまとめてみました♪

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女性について

自分に無いものを全て持っているってだけで、尊敬に値しますね。

とにかく優しいし、強いよね。本当にツライ時に耐えられるのは女性なんじゃないかな。

母親だったり友達だったり、女性から学ぶことは多いね。
「ロッキンf」 1996年3月号


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丁寧にやっていく

一つ一つの仕事や人間関係を丁寧にやっていけば、次には必ず大きなチャンスが来るっていうのが自分のポリシーなんだよね。

だから、まわりを見ないで突っ走るっていうことが、俺にはできない。
「SHOXXスペシャル」 1996年 vol.45


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音楽でのコミュニケーション

海外に行く機会が増えるに連れて強烈に自分が日本人であることを意識するし、近くの国に住む隣人たちとも、もっと解り合わなくちゃいけないと思ってる。

そのために、音楽でコミュニケーションできたらいいよね。
「SHOXXスペシャル」 1996年 vol.45


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広がるGLAYの世界

宇宙って縮まりながら広がってるっていうのを聞いたことがあるんだけど、そういうことだと思うな。

波乱万丈がありながら、どんどん自分たちの内部に入っていくんだけど、逆にGLAYの世界は広がっていってる……

この不思議さは言葉では説明できないけど、多分、そういうことだと思う。
「FOOL’S MATE」 1996年3月号


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GLAYを一生

GLAYを一生ですか?ええ、俺はやりたいです。

まぁ、この世にずっと続くものってないし、いつかはなくなってしまうものなんだろうけど、例えば人を好きになることにしても、俺、ある人に「人の気持ちは絶対変わるものだ」って言われたんですよ。

で、それは本当だと思うんだ。

今好きな人がいたとして、そのまま放っておいて一生好きかっていったらそうじゃないと思う。

でも、好きでいる努力はしようと思うんですよね。

だからGLAYも、続けるっていうよりちゃんと続いている努力はしたいなって。

目の前に石ころがあったら手の空いてるヤツが先に走っていってハネのけてあげるような。

そんな優しさをもって、GLAYというものを大事にしたいなって思ってます。
別冊カドカワ」 完全保存版~360ページまるごとGLAY


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全ての原動力

保育園で他の友達は3時頃親が迎えにくるのに、うちは母親の仕事の関係でどうしても6時半頃になっちゃうんですよ。

だから、その間の2時間半っていうのはずーっと1人で40人も50人も入るような広いところで「まだかな?まだかな?」って待ってて。

もう、あの時の孤独感っていうのは、あとあとまで引きずってるし、今の俺の性格とか生活ぶりとか作品とか、全部に影響してる気がしますね。

人に執着するのも、愛の歌を歌うことも、進んで何もかもやっちゃおうとすることも、全部……。

ヘンな言い方だけど、「あの頃に戻りたくない」っていう気持ちが俺の全ての原動力になってるのかもしれないなって。
「別冊カドカワ」 完全保存版~360ページまるごとGLAY

歌の持つ力

母親が自分の部屋で泣きながら歌ってる歌声なんかを聞くと、子供心に「なにがあったんだろう」とか「大変なのかな」とか思うじゃないですか。

でも、その歌声がだんだん力強くなっていく、移り変わる様をずっと聞いてましたからね。

そこで、絶対的な歌の力を信じるようになったっていう。
NHK「GLAY 奇跡と栄光の向こうに…」 TAKUROインタビュー


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『pure soul』への想い

「自分たちは純粋に音楽をやってるんだ」とか「自分たちは純粋な人間なんだ」とかそういうことを言いたいんではなくて。

「どうあったって汚れるしかないこの世の中において、どうしたら純粋でいられるんだろうか?」という問いのような曲だったりするわけです。
NHK「GLAY 奇跡と栄光の向こうに…」 TAKUROインタビュー


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同郷の絆

やっぱり、故郷だとか帰る場所というのは、“土地”じゃないような気がするんですけどね。

“人”であると昔から思うんだけど。だって、地球なんて土の固まりじゃないかぐらいの気持ちで……。

今、この4人がうまくいってるのは、共通する思い出がたくさんあるということと、性格が全くもって凄いバランスで円を描いているってことなんじゃないですかね。

バンドでドラムがいないっていうのがけっこう致命傷なんですけど、やっぱり、4人の役割としてもう入る隙間がないぐらい微妙なものを作ってきてる。
NHK 北海道スペシャル 「GLAY 北の大地で」 TAKUROインタビュー


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絶対に追い抜けない

それこそ、BOOWYもそうだし、レベッカ、ストリート・スライダーズのハリーとかね。

それはもう、「絶対に自分の中では追いつけないだろうな」っていうのは感じるけども。

でも、すでに何をもって越すかっていうのは、はっきり俺の中では答えが出てて。

越せないっていうのも出てるし。

バンドがキッズに与える衝撃度でいったら、バンド自体が世の中を加速して駆け上がっていく時に出会えたら一番幸福なんだろうなと思うんだけど、そういう時期に会っちゃってるから。

こっちは十代の一番感受性の強い時期、向こうはもう一番バンドとして上り調子の一番いい時期。

で今、経験も積んで知識もついて、演り手・作り手側になってるから、そこであの時の気持ちをもって追い抜くっていうのはもう無理ですよね。

でも、ただ俺達が音楽作ってる時に、「やっぱりこれっていいよね」「このリフってカッコイイよね」っていうところで感動したりするから。

また違った意味で、そのバンドのことはもう念頭に置かずに、そういう衝撃は自分の中で作り出す事はできるけど。

抜く抜かないって言ったら、もう絶対無理だ。
NHK 北海道スペシャル 「GLAY 北の大地で」 TAKUROインタビュー

「函館に住んでた時にTVを観てて、この人には追いつけないだろうなって思ったロックスターっています?」という質問を受けて


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憧れたバンドを超えるモノ

一番大切だと思ってる事は、この期に及んでこの状況において、まだ、いや、なおもバンドを楽しんでるメンバーの姿だろうな。

やっぱり言われますよ。

「すごい忙しくてメンバーとも四六時中会ってるから、バンドの仲とか、雰囲気悪くなったりしませんか」とかね。

それでも、スタジオに入ったら全然変わらない楽しみ方をしてるっていう。

それはもう俺の誇りでもあるし、ホントに奇跡だなとも思うしね。

確かに、GLAYがどんどん大きくなればなるほど、「重荷をしょいながら歩いてるな」と思うこともあるけれど、でも、音楽に触れてる時は全く変わってない。

「このリフ、かっこイイよね」「とりあえず、Aから始めよう。ジャーン」ってやったり。

それは、その点においては、過去のどのバンドよりも勝ってると思う。憧れたバンドをも超えただろうなとも思う。
NHK 北海道スペシャル 「GLAY 北の大地で」 TAKUROインタビュー


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学校の文化祭

ようやく半年経って思うことは、それこそ函館でバンドやってた頃を思い出して。

「幕張のライブが俺にとって何だったか?」って言う事より、バンドの楽しさ、バンドのあるべき姿があそこにはあったような気がするんですよね。

だからもう、武道館とか東京ドームとかっていう初めからあるものではなくて、自分達が頑張りさえすればどこでもやれるんだってことを証明したようなね。

結局、バンドの楽しさってのは、そういう考えてる時間とかね……

学校の文化祭によく例えるんですけど、文化祭は本番の日も楽しいけど、その前の準備も楽しければ、終わった後の切なさも含めた上で、ひとつの自分の中での“夏”なんだろうし、“時代”なんだろうし。

それを猛烈に感じて。

リハーサル終わってメンバーとみんなで飲みに行って、「幕張でああしたい、こうしたい」っていうのを込みで、やっぱり俺にとってはバンドのあるべき姿で、やりたいことで。

それが明確に見えたライブでしたよ。
NHK 北海道スペシャル 「GLAY 北の大地で」 TAKUROインタビュー


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幕張後の葛藤

幕張が終わった後、ホントにもうカラッポになって。

GLAYがどうこうとか、音楽がどうこうって言う前に、自分としてある意味「人生の一番いい夢見ちゃったな」っていうような感じだったから。

「これからの夢っていうのは何だろう」っていう色々迷いはありましたけどね。

それでも、今のこの気持ちを歌う勇気を持つか持たないかっていうことに、自分の大事なポイントがあったように思うんですよね。

シリアスな心境を世に出していいのかとか、もうちょっと元気になってから、もうちょっと軽いパーティソングみたいなほうがいいんじゃないかとかね。

その辺はすごい迷いましたけどね。

でも、今のこの全てを歌う事が、自分にとってもGLAYにとっても、また次の場所へ行くための踏ん張りどころなんだろうなという。

そういう結論に達して。
NHK 北海道スペシャル 「GLAY 北の大地で」 TAKUROインタビュー


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政治・宗教・民族

今年の春に、ドイツのベルリンやチェコに行ったんだけど……。

そこは、自分にとって政治とか宗教とか民族とかそういうものを考える上で、凄い衝撃があった場所なんですよね。

今、28歳になって、ひとつそういうものに自分なりの考えをを持ちたいな、持たなきゃなっていう時期にさしかかったのかなっていう風に、俺は思うんだけど。
NHK 北海道スペシャル 「GLAY 北の大地で」 TAKUROインタビュー


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火がつくのを防ぐ

今までのGLAYが、俺たちの歌を聴いて元気になってくれたらって言うところから、何もかも出発してるとしたら……。

まず、落ち込む理由というのが必ずあって。

それは個人もそうだし、世の中全体もそうなのかも知れないけど、落ち込む原因に対して、未然に何か警告みたいなモノを歌えないだろうかとかね。

今まではもう、火がつきましたと。お尻に火がついちゃって大変ですというところに、少なからず水をかけてあげることしか出来なかったけど、その火がつくのを未然に防げるものだったら、そろそろ防ぎたいなっていう。

「いつまでも事後処理の歌ばっかり歌ってもなぁ」っていうのは実際考えましたよ。

それをも超えて、みんなを癒せるような歌が出来たらなって思う。
NHK 北海道スペシャル 「GLAY 北の大地で」 TAKUROインタビュー


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笑顔が戻る歌

たとえば、宗教の違いだとか、肌の色とかね。

それは東京で暮らしてる分には全く感じないんだけども、ひとつ外に出てみたら、俺にしたらなんでそんな事でって思うんだけど、本人達にとっては解決していかなければならない、どうしても勝ち取らなければならない権利とか、そういうモノであったりするわけで。

でもその前では、さすがに音楽って無力かもって思うんだけど、それでも、その人たちに少しでも笑顔が戻るような歌ができたらなとは心から思った。

そういう場所に行けば行くほどね。

日本にいたら、「オマエ気にいらねぇ」っていう歌を歌ってなんかスッキリしたんだけど(笑)

ちょっと外に出ると、「気にいらねぇって言われてもなぁ」っていうような言葉も通じない場所がたくさんあったから。

「もっともっと大きな何かが必要だな、大きな何かを身につけなきゃ」とは思いましたね。
NHK 北海道スペシャル 「GLAY 北の大地で」 TAKUROインタビュー


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GLAYの可能性

この先っていうのは、どうなるかわからないんですよね。

だから面白いし、やり甲斐があるし。

千にも一万にも出来るし、何億倍にも膨らませられるし、もしかしたらあっという間に縮んじゃうのかもしれない。

でも、その膨張率って多分計り知れないんですよね。だからやり甲斐があって、ホントに未知で面白いんですよ。

だから、「これからどこに行くんですか」っていう質問がたくさんあるし、今までもたくさんあったんだけど、1年先をイメージすると真っ暗なんですよ。

でも、真っ暗な先にやっぱり光があって、その光をもっと輝かせるためにこの1年があるようにね。

これからは、例えば「もっとロック寄りになって、テレビとかに出てあんまりニヤニヤしたりしない様に」とかっていうのは、俺にとっては膨張率2ぐらいの(笑)

でも、何もかも受け止めて、何もかも消化して、何もかも音楽で吐き出した時の広がる可能性っていったらね。

GLAYにはまだまだある。わからないけど感じるから。
NHK 北海道スペシャル 「GLAY 北の大地で」 TAKUROインタビュー


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バンドの終わりについて

ひとつの夢が実現、完結しました、それが達成しましたと。

じゃあ、このバンドの寿命は終わったのかと。それは、外から見て思う問題で、俺たちはたいした問題ではないんです。

今、やめたらロックシーンに名前が残るだろうとか、カッコいいだろうとかヒロイズムはあるかもしれないけど。

シーンに名前が残ったって、別に食っていけるわけじゃないんだから(笑)

コイツらとやるのがイヤになったときがバンドの終わり、まあ、人生の終わりなんだっていうことは、みんなも感じてるんじゃないかな。

やっぱり、バンドっていいねっていう話だし。

ジャーンってギター弾いて、ドラムがドーンと入ったら気持ちいいね、楽器一日中弾いていたいねっていう気持ちでしかないから。
PATI PATI 2000年10月号 HEAVY GAUGEツアー後のインタビューより


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啓示の意味

なんていうか、ある晩夢を見たと。

そしたら、自分が見渡す限りの人の海でギターを弾いてて、みんながめちゃくちゃいい顔で俺らの歌を口ずさんでいたと。

そういう光景がどういった意味を持つかっていうことだよね?

それ、それ、まさにそれなんだよ!って啓示を受けて、そこに行くためには何が必要で何を諦めなきゃいけないのか・・・

その意味を紐解いてきたのが俺らの90年代というか、20世紀だったよね。
PATI PATI 2001年1月号 HEAVY GAUGEツアー後のインタビューより


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こんなもんじゃない

こんなもんじゃねえのにって、まだまだそういう気持ちもある。

こんなもんじゃない。俺が愛したロック・ミュージックもポップ・ミュージックはもっとすごかったっていう。

悟りきったような歌詞なんてうんざりだ!なんだそりゃ?っていうのはあるよ。

GLAYを通して表現していきたいことはいっぱいある。

でも、ありきたりのポップ・ミュージックの一章に添っていく時代でもないと思うんだよね。

もう、今まであったマニュアルは古いと思うんだ。
PATI PATI 2001年1月号 HEAVY GAUGEツアー後のインタビューより


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GLAY EXPOについて

曲を1曲も知らなくても、最後に「今年一番楽しかったことはGLAY EXPOだ」って思ってもらえなかったら、それはある意味で、俺達としては負けなんですよね。
GLAY EXPO 2004 ライブDVDより


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素晴らしい表現者へ

言葉で説明するのは難しいんだけど、「ホワイトロード」を作り上げた時点で、あの曲が自分に対して持つ意味の大きさが本当に満足できるものだったというか。

ここまでいけた自分がもう嬉しいというか、素晴らしいなと思えた。

俺は“アーティスト”という呼ばれ方は嫌いなんだけど、音楽への心構えから何から図らずもそこに飛び込んでいけたかもしれないというぐらい。

素晴らしい表現者になれるその入り口で、その切符を手に入れた気分なんですよ。

「そうか、こんな快感があったのか」「これが表現することなのか」と思った。

俺、それ以降曲書いてないです。1日10分の作曲とかもやめてますね。

俺の曲作りって自分自身の人生を問う、そんな感じじゃないですか。

人に頼まれれば、セッション気分で「じゃあいい音楽作ろうぜ、曲作ろうぜ」とはなるけど、己を問うような曲作りはもうやめましたね。
別冊カドカワ 総力特集GLAY (2005年)


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表現=旅

やっぱり、「いいね」って言われるほうが嬉しいですしね。

でも、それだけで跡形もなく過ぎ去っていくぐらいだったら、たとえ賛否両論があっても、人の心に波紋を残すもののほうがいいなということも思ったり。

なんか、表現することで色んなことを知っていってますね。

だから、俺にとっての表現は“旅”かな。行く先々で何かを見つけてるみたいな。
別冊カドカワ 総力特集GLAY (2005年)


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原点と今いる場所

成長とは、経験や知識を身につけること。けれど同時に、少年時代の一途な気持ちを失うことでもある。

少年時代のピュアな魂に戻ることはできない。

それでも僕が函館に戻ってくるのは、自分の原点と今いる場所を再確認するためなのかもしれない。

懐かしいあの道の向こうには、今でもレコード屋を目指して夢中で自転車を漕ぐ高校生の僕がいる。
「北海道へ」 朝日新聞出版

故郷の仲間

音楽を作る仕事をしていると、何かへの純粋な憧れだけで生きていた少年時代が、いかに大切かを痛感する。

その宝物のような時代を共有する仲間と、今も一緒に音楽活動を続けられる自分は、なんて幸せなんだろうと思う。

函館の地を飛び出し、音楽業界の荒波に翻弄されながら、僕たちはトボトボとここまで歩き続けた。

だからわかるのだ。

故郷(ふるさと)の仲間と一緒に人生を歩めることが、いかに心強く、幸せなことなのかを。
「北海道へ」 朝日新聞出版

函館という街

今にして思えば、僕たちは幸せだった。

文化祭でライブをやりたいといえば、学校側は体育館を開放してくれた。楽器屋のオヤジさんは楽器や機材を貸してくれた。

デパートの責任者も、お祭りの自治会も応援してくれた。

函館の街全体にそういう雰囲気と、温かい手を貸してくれる大人たちがいた。

僕は体系的な音楽教育を受けたわけでもなければ、師匠がいるわけでもない。

けれど口が裂けたって、自分独りの力で今日までやってきたなんてことは言えない。

函館という街がギターの先生であり、作曲・作詞の師匠だった。

あの時代に自分を表現する場を与えてもらえなかったら、現在の僕はいない。
「北海道へ」 朝日新聞出版

幸せの感触

自然から切り離されて生きていると、人はしばしば人間関係だけがこの世のすべてであるかのような錯覚に陥る。

自分の幸福を、他人との比較や距離感の中でしか見出せなくなってしまうのだ。

子供の頃の僕は、周囲に満ち溢れていた自然のおかげで、そういう錯覚に惑わされずに生きてきた。

常に自分の肌と心で、幸せの感触を確かめていたように思う。
「北海道へ」 朝日新聞出版

心の貯金

たしかに東京からはいろんなものをもらったけれど、僕にとっていちばん肝心なこと、つまり音楽を創ることに関しては、少年時代に北海道でせっせと積み立てた“心の貯金”を切り崩していただけではないかと感じている。

そう思うのはおそらく、その“心の貯金”が尽きかけているからで、だからこそ僕は自分の原風景である北海道に戻ろうとしているのかもしれない。
「北海道へ」 朝日新聞出版

力の限り北海道の音を

少年時代、函館の沖に浮かぶ烏賊(いか)釣り漁船を見て、僕は生まれて初めて曲を書いた。

再び北海道の地に帰ったとき、僕はどんな曲を創るのだろう。それはまだわからない。

ただ一つ確かなことがある。

僕はまだまだ北海道の音を鳴らし足りていない。この先も力の限り、北海道の音を鳴らしていきたい。

その音は、大地を揺らし、世界に鳴り響く大きな力を秘めていることを、僕は強く信じている。
「北海道へ」 朝日新聞出版

孤独感と音楽

その頃からGLAYは世の中に出るようになって、テレビにも出たり雑誌にも出たりですごく周りの人から良く言われるようになったし、ちやほやされるようにもなったけれど。

それでも、毎年毎年ひとり旅を続けてるのは、『HOWEVER』を作った時のあの孤独感がいい音楽を生むということを知っているからかもしれない。
「NEWS ZERO」 TAKUROインタビュー 2010.10.6


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自分でハンドルを握る

「明日がどうなるかわからない」とか「今就いてる仕事が10年後、20年後も出来るかどうかわからない」という世の中であるならば、なおさらもう助手席に乗るのはやめて、自分でハンドルを持ったほうがいいんじゃないのかなって。

デビューしてから10年くらい、俺たちは間違いなく前のスタッフの人だったり、アイディアをたくさん持ってる色んな人たちに「お前らの良さはこうだから、あっちに行こうぜ」って言われて、助手席に乗って景色を見ながら目的に着いてたっていうのがこれまでのGLAYだったんだろうけど、もしその時に放り出されてたら、GLAYは何もできなかったと思う。

ある時から、自分たちでハンドルを握らないと、いざって時にメンバー守れないな、家族守れないな、そして何よりファンの人達守れないなって。
「NEWS ZERO」 TAKUROインタビュー 2010.10.6


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人任せはやめる

音楽業界の不振とかCDの売り上げ不振とか聞く中で、誰か人に任せておく時代じゃなくなっているのかもしれない。

俺たちがかつてアマチュアの頃にやっていた「自分たちでチケットを売って、自分たちでもぎってお客さんを入れて、終わったら自分たちで片付けて」じゃないけど、過去の栄光に縛られて次もヒットヒットじゃなくて、“届けるべき相手に、ちゃんとした温度で、出来上がったばかりの料理を届ける”っていうような。

「俺たちが思うGLAYはこうなんですけど、どう思いますか」って。
「NEWS ZERO」 TAKUROインタビュー 2010.10.6


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どう道を描けるか

俺がこれからメンバーや仲間やファンの人たちに提供していきたいことは、ミュージシャンとしての向上心を忘れず、バンドしての成長も忘れないで、TERUが言うところの「30年やるぞ」ということに対して、どう道を描けるかっていうことかな。

それによって生み出されたもので、周りの人たちをどれだけ幸せにできるかっていう。

その数が多ければ多いほど、「悪くない人生だなぁ」って、そういう思いでやってます。
「NEWS ZERO」 TAKUROインタビュー 2010.10.6


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GLAYの佇まい

もしかしたら、バンドとしてはまだまだ未熟かもしれない。演奏とかも大したことないのかもしれない。

だけど、この世界で生きていく一つの鍵が「俺たちにしかないモノがちゃんとありますよ」ってこと。

「俺たち変わらないな」って思ったのは、メンバーの人間関係。

胸張って迷ってる連中に伝えられる一つの回答ではあります。“GLAYの佇まい”というのは。
「NEWS ZERO」 2010.11.22


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楽しくバンドをやる鍵

来年、俺たちは40代になって新たな時代に突入していく。

ある種不安だけど、まだまだ自分たちの可能性を信じているし。

今まで自分たちが体験して何かひとつ山を乗り越えた時に、それをちゃんと人に伝えられる言葉を持つことだったり。それが楽しく50代、60代もバンドやる鍵の様な気がする。
「NEWS ZERO」 2010.11.22


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全身全霊で

悲しみを一緒に大声で歌い飛ばせるような

小さな出来事を一緒に喜び会えるような

誰かの夢をGLAYとみなさんで応援できるような

そんな場所が今年、東北にできるよう、参加した全ての人々が
心から楽しんでもらえるよう、全身全霊取り組んで行きます。
HAPPY SWINGホームページ “3月11日によせて”


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2014年05月27日