司馬遼太郎先生の名文で幕末・明治の日本の偉人をご紹介!【土佐編】

chii_space
司馬遼太郎先生の小説に出てくる偉人達の魅力あふれる言動は、現在を生きる私達を勇気づけてくれます。そんな偉人達を、先生の素晴らしい名文・名台詞でご紹介します(幕末・明治編)!※随時更新。司馬先生ご本人が「自分が書いた物はフィクション」と断っている通り、あくまでフィクションです。勇気が欲しい時にどうぞ。

土佐藩とは?

これは土佐だけではない。おなじ遠国の大藩である薩摩や長州も同じであった。この三国は、彼らは遠国であるがゆえにかえって中央への憧れが強く、中央の動きについては、江戸や京阪の市民よりもはるかに敏感であった。この三州の武士が、明治維新の原動力になったのは当然な事である。

『竜馬がゆく』1巻 (文春文庫)より

岩崎弥太郎

貧しい地下浪人から三菱財閥の創業者で初代総帥にまでなった人物。竜馬の海援隊の経理を担当した事もあり、竜馬との関係も深い。三菱財閥の出発点は海援隊とされている。

「うらァ、こうして牢にはいっちょるけンどもが、志ァ万里を賭けちょる。」

「竜馬がゆく」1巻 (文春文庫)より

それまで学問武芸しか知らなかった岩崎弥太郎が、はじめて算用の路を学んだのは、この時であった。将来、商業によって大をなそうと考えたのも、この時である。「世の中は一にも金、二にも金じゃ。うちの親父もわしもわずかな賄賂が無かったために庄屋の鼻薬に踊らされた郡奉行所に捉えられたのじゃ。世の中は金で動いている。詩文や剣では動いちょらん。わしは将来日本中の金銀をかきあつめて見するぞ。」

「竜馬がゆく」1巻 (文春文庫)より

山内容堂

幕末の外様大名。土佐藩15代藩主

剛腹な性分で、殿様としては不必要なほど頭がするどすぎた。その上、詩文の才があり、歴史を読むのに独特の史眼を持っていたから、当代一流の知識人だった。それだけに、柳営(江戸城中)の中でも他の大名連中が愚かに見えて仕方が無く、きわどい毒舌ばかりを弄している。

「竜馬がゆく」1巻 (文春文庫)より

容堂は聴き上手で、「ふむ、左様か」とか、「なるほど、さもあろうか」などと、変にふかぶかとした相槌を打つのである。そのくせ上体が揺れるほどに容堂は酔っている。

「翔ぶが如く」1巻 (文春文庫)より

河野敏鎌

初代農商務卿

河野は悪い意味でも聡明であった。沼間のような男には西郷のもっているえきえきたる人格的光芒というものが理解できまい、この話題を続ける事は新政府官史として益がないばかりか、むしろ害があろうと思い、「もうやめよう」と言った。

『翔ぶが如く』1巻 (文春文庫)より

その超人ぶりをうたわれたが、この超人ぶりは、日々の平穏の中にこそ人生の価値を見出す立場から言えば名状しがたい不幸であるとも言える。

『翔ぶが如く』1巻 (文春文庫)より

坂本乙女

坂本竜馬の実姉。母・幸の死去後、竜馬の母親代わりを務め、彼を育て上げた。龍馬のよき理解者であり、強くやさしい女傑。

源おんちゃん、つまらぬことをする。これは、紙ではありませんか。」と、乙女は気づいた。訳を聞くと、不器用の源おんちゃんはその紙の一輪を作るために、夕べは一晩かかったという。乙女はおかしくなったが、途中であわてて笑いを止めた。涙が出そうになったのであろう。

「竜馬がゆく」1巻 (文春文庫)より

無論、この娘らしい空いばりなのである。乙女は、竜馬の十二歳の時母の幸子が死んでから、わずか三つ上ながらも、弟を負ぶったり、添い寝をしたりして今日まで育ててきた。竜馬に対しては、若い母のような気持ちでいたし、あるいはそれ以上だったかもしれない。それほど幼い頃の竜馬は、手のかかった子なのである。

「竜馬がゆく」1巻 (文春文庫)より

坂本権平

坂本竜馬の実兄。父母共に若くして死んだ為、竜馬が幼き頃の龍馬の父代わりとなった。

兄の権平が、門わきに立ち、「竜馬、もはや、往け」と命じ、はかまの前ヒモに両掌をさし入れて、朗々と当時流行の詩を吟じ始めた。権平は不器用な男だが、声だけは良い。「男児志をたてて郷関を出づ。学もし成らずんば死すともかへらず。」
男児志を立て郷関を出づ。学もし成るなくんば復還らず。骨を埋づむる何ぞ期せん、墳墓の地。人間至るところ青山あり。

「竜馬がゆく」1巻 (文春文庫)より

「男児志を立て郷関を出づ。」は、私が最も好きな詩です。人間至るところ青山あり!

岡上樹庵

坂本乙女の夫。後に離縁。

ただ竜馬が男なら、この国を一人で守れ、というのじゃ。大勢でわいわい論ずるよりも、たった一人で守るほどの気概を持てというのじゃ。

「竜馬がゆく」1巻 (文春文庫)より

お田鶴

土佐藩家老福岡家の娘。坂本家は福岡家預り郷士である。のちに三条実美に仕える。身分の差を越えて竜馬を愛している。(Wikipediaより)

楽しい話だと竜馬の心の中まで洗われるような笑顔でころころと笑ってくれるのである、お田鶴様の場合、もう対座しているだけで、それが神韻に満ちた芸術家だとさえ言えそうであった。

「竜馬がゆく」1巻 (文春文庫)より

美しいと言う事は、その分だけ神に近いという事だ。竜馬はお田鶴様の雰囲気の中に包まれていると、なんとなく人の世から、五尺ばかり宙に浮かんで座っているような気がする。

「竜馬がゆく」1巻 (文春文庫)より

寸評は、そういう卑俗の話柄の場合だけでなく、黒船騒ぎとか、江戸における志士の横行とか、幕閣の不手際とか、あるいは外人の横暴とか、そんな話になっても、同じように、お田鶴様はちょっぴり言う。

「竜馬がゆく」1巻 (文春文庫)より

考えてみるとお田鶴様には、さほどの意見も思想もなさそうなのである。しかし、巧みに相手の頭の中に眠っているものを引き出させてやる、というような天賦の能力がこの女性には備わっているようであった。(男は、こういう女(ひと)を、妻か、想う人に持たねばならぬ)

「竜馬がゆく」1巻 (文春文庫)より

竜馬がお田鶴を評して。

「田鶴は、生まれてこのかた、体がすがすがしいと思った事はありませぬ。いつもどこかしら悪いために、自然、命への執着などは、人様よりはすくのうございます。どうせ短い生涯ならば、命を燃やし尽くすようなことをしとうございます。」

「竜馬がゆく」1巻 (文春文庫)より

お田鶴を竜馬が評した言葉。

https://matome.naver.jp/odai/2138184910460038401
2014年04月14日