東京都出身。桐朋学園芸術短期大学卒業。女優・高畑淳子と俳優・大谷亮介の長男で、姉は女優の高畑こと美。身長181cm。親戚に女優の北川景子、DAIGO夫妻がいる。
暁星国際高等学校では野球部に所属していた。ポジションはキャッチャーで、バッティングはほとんどバント専門であった。
高校3年生で進路を決めないといけないタイミングで鑑賞した、母・淳子が出演していた舞台『欲望という名の電車』に感激し役者を志す。2012年、土曜ドラマ『あっこと僕らが生きた夏』で俳優デビュー。同年4月より母親の出身校である桐朋学園芸術短期大学に進学し、演劇を学んだ。
2015年、連続テレビ小説『まれ』出演で知名度を上げる。「天然キャラ」と評されてバラエティ番組に出演する機会も増え、母の淳子との共演もあった。
2016年8月23日、映画の撮影のために滞在していた前橋市内にあるビジネスホテルの女性従業員に性的暴行を加えたとして強姦致傷容疑で群馬県警に逮捕された。
2016年9月9日、前橋地方検察庁は、高畑と被害者側の間で9日までに示談が成立したとして高畑を不起訴処分とした。同日、所属事務所であった石井光三オフィスが高畑とのマネジメント契約の解除を発表、無所属となった。
落合 福嗣(おちあい ふくし、1987年8月20日 – )は、愛知県名古屋市出身のタレント、コラムニスト、評論家、コメンテーター。落合博満と落合信子の長男。
国士舘高等学校、国士舘大学21世紀アジア学部卒業。身長186cm。
金正男(キム・ジョンナム)氏。1971年5月10日、北朝鮮・平壌生まれ。同国の最高指導者、金正日氏の長男。ロシア・モスクワ、スイス・ジュネーブに留学したとされる。
2001年5月1日、正男氏とみられる男性が成田空港で拘束される。妻子を連れ、ドミニカ共和国のパスポートを持ち、胖熊(パン・シオン=太った熊)という中国名を名乗っていた。本人かどうかの最終確認はされず、超法規的措置で国外追放となったが、「ディズニーランドに行きたかった」と供述したという。
その後は、北京、マカオなどで各国のメディアの取材にたびたび応じている。金正日最高指導者の後継者となった異母弟の金正恩氏については、09年のデノミの失敗や、10年の韓国哨戒艇沈没事件を挙げ、世襲に反対しているとされる。
ビットリオ・エマヌエーレ氏。1937年2月12日、イタリア・ナポリ生まれ。イタリア最後の国王、ウンベルト2世の息子で、サボイア家の当主。サボイア家がファシスト政権に協力したことからイタリアを追放された後、ポルトガルや、スイス・ジュネーブに亡命する。
若い頃から素行の悪さで有名で、70年代初めには武器密輸に関与した疑いで捜査対象となった。78年にはフランス・コルシカ島近くで誤って人を射殺したとして起訴されたが、最終的には無罪となった。
サボイア家は2002年、56年ぶりにイタリアに帰還したが、その4年後の06年6月16日、売春斡旋の容疑でイタリア当局に逮捕される。スイスとの国境地帯にあるカンピオーネ市のカジノを舞台に暗躍する一団を取り仕切っていたのが容疑。
このほか、亡命先のジュネーブでの脱税疑惑も発覚。さらに、サボイア家当主の地位をめぐる裁判に巻き込まれるなど常に騒動を引き起こしている。
息子のエマヌエーレ・フィリィベルト氏も派手好きで有名で、妻はフランス女優のクロチルド・クロさん。
マーク・サッチャー氏。1953年8月15日生まれ。母親は元英国首相、マーガレット・サッチャー氏。名門ハロー高校を出て、会計士を目指したが断念。1987年に米テキサスの自動車ディーラーの娘と結婚、南アフリカ共和国に移住する。
サッチャー氏はレースドライバーとしても活動、82年にはパリ・ダカールラリーに参加したが、サハラ砂漠で6日間、行方不明になり救出された。
98年には南アで警官や軍人を相手に違法な高利貸しを営んでいたとして、捜査対象になる。さらに、米国での脱税や恐喝、航空燃料のアフリカ諸国の販売などで巨利を得たとされた。
2004年8月、アフリカ中部の小国、赤道ギニアのクーデター計画に、元SAS(英陸軍特殊部隊)のサイモン・マン氏とともに関わったとして逮捕される。サッチャー氏は容疑を否認したものの、罰金50万ドル、執行猶予付き禁固4年の有罪判決を受けた。
その後、米国、モナコなどへの移住を試みるがビザ発給を拒否されている。
クリスチャン・ブランド氏。1958年5月11日、ロサンゼルス生まれ。父親は「欲望という名の電車」「波止場」「ゴッドファーザー」などで有名な俳優、マーロン・ブランド氏。
出生直後に両親は離婚、親権争いの中、母親から依頼を受けた一味に誘拐されるなど、不安定な少年時代を過ごす。
90年5月16日、異母兄弟の妹、シャイアンさんのボーイフレンド、ダグ・ドロレット氏を射殺。被害者とは当日、初めて会ったばかりで、クリスチャン氏は「脅そうとしただけ」と主張したが、有罪となり5年間服役した。事件当時妊娠中だったシャイアンさんは95年に自殺している。
2001年には俳優、ロバート・ブレイク氏が、妻のボニーリー・ベイクリーさんを射殺したのは、妻と不倫関係にあったクリスチャン氏だと告発した。これに対し、クリスチャン氏は、事件への関与を否定、黙秘権を行使したため真相は不明のままに終わった。
05年には妻でエルビス・プレスリーの娘と称する、デボラさんから家庭内暴力で訴えられている。結果的に保護観察処分となり、麻薬・アルコール中毒からのリハビリを命じられた。08年1月26日、肺炎のため49歳で死去。
ローラ・ボーさん。1955年5月31日、米フロリダ州ゲインズビル生まれの元女子プロゴルファー。弁護士で優秀なアマチュアゴルファーだった父からゴルフの手ほどきを受け、数々のアマチュア大会で優勝。17歳でプロに転向して日本でデビュー。その後、全米ゴルフツアーに参戦する。
米ゴルフ雑誌で「最も美しいゴルファー」に選ばれたほどの美貌で人気も集めたが、ツアーでは2位に10回も入ったにもかかわらず、1勝も挙げることはできなかった。
79年に最初の結婚をしたころから、アルコール依存症となる。2人目の夫(80年に結婚して85年に一度離婚したが88年に再婚、98年に離婚)のプロゴルファー、ボビー・コール氏との間に7人の子どもをもうけるが、妊娠中だけは禁酒するためゴルフの成績も良かった。後に依存症を克服、99年には自叙伝「私は仮面の妖精だった」を出版した。2004年には弁護士である3人目の夫と4度目の結婚をしている。
ナオミ・キャンベルさん。1970年5月22日、ロンドン生まれのファッション・モデル。ジャマイカ系のバレエダンサーの母に育てられる。15歳でスカウトされ契約、黒人初のスーパーモデルとして華々しく活躍した。
一方、キャリアの最盛期を過ぎた90年代後半からは数々のスキャンダルに見舞われる。アシスタント、家政婦、警官、友人、リムジンドライバーらへの暴行事件でたびたび告発、逮捕され、社会奉仕活動などを命じられている。04年には自身の薬物中毒を報道した大衆紙を、プライバシーの侵害で訴えている。
さらに、人道に対する罪に問われている西アフリカのリベリアの元大統領、テーラー氏からダイヤモンドを送られたとの疑惑が浮上。10年8月5日には隣国シエラレオネ内戦での戦争犯罪を裁く国際法廷(オランダ・ハーグ)に証人として出廷した。この中で、「寝室を訪れた男からもらったポーチに汚い石が2つ入っていた」「私にとって贈り物をもらうのは普通のこと」などと証言した。
トーニャ・ハーディングさん。1970年11月12日、米オレゴン州ポートランド生まれの元女子フィギュアスケート選手。トリプルアクセル(3回転半)を伊藤みどりさんに次ぎ、女子では世界で2番目に成功させたが、92年のアルベールビル五輪では4位に終わった。
リレハンメル五輪の選考会を兼ねた全米選手権を控えた94年1月、ライバルだったナンシー・ケリガン選手が何者かに襲われ怪我をする事件が起きる。後に、トーニャさんの元夫の犯行で、トーニャさんも関わっていたことが判明する。
五輪のフリーの演技では最初のジャンプに失敗すると、スケート靴のひもが切れて演技できないと審判に泣いて訴え、再滑走が認められた。ただ、精彩を欠いた演技で8位に終わり、怪我から復帰して銀メダルを獲得したケリガン選手と明暗を分けた。
五輪後は追放される形でスケート界を去り、ボクシング、総合格闘技などに挑戦している。また、恋人への暴行で逮捕されたり、私生活のビデオを暴露されたりと世間を騒がした。95年にはロックバンドの一員としてステージに登場してブーイングを浴びた。
ウィノナ・ライダーさん。1971年10月29日、米ミネソタ州ウィノナ生まれの女優。10歳ごろから演劇を始め、86年「ルーカスの初恋メロディー」で映画デビュー。90年の「恋する人魚たち」、93年「エイジオブセンス/汚れなき情事」、94年「若草物語」などで評価を高め、ハリウッドを担う若手女優として期待される。
私生活でも90年の「シザーハンズ」で共演したジョニー・デップさんと婚約するなど、絶好調だったが93年に破局。次第に出演作にも恵まれなくなる。
2001年12月にはビバリーヒルズのブティックで洋服などおよそ約5500ドル(約67万円)相当を万引きしたとして逮捕される。02年に裁判所から3年の保護観察処分と480時間の社会奉仕、さらに、薬物カウンセリング・プログラムへの参加を命じられた。
その後も、飛行機内で大量の精神安定剤を服用して病院に運び込まれたり、借り受けた12万ドルの高級ジュエリーの紛失について狂言が疑われたりと、スキャンダルには事欠かず、女優としてもかつての輝きを失ってしまった。
ドリュー・バリモアさん。1975年2月22日、ロサンゼルス生まれ、祖父はサイレント期に活躍した名優、ジョン・バリモアさんで、ジョン・バリモアさんの兄ライオネルさん、姉エセルさんも俳優という芸能一家で育った。父親も俳優だったが、生まれたときに両親は離婚していた。
幼いころからテレビ、映画に出演。82年の「E.T.」で一躍有名になる。一方で私生活は荒れ、9歳で飲酒、10歳でドラッグに手を染め、14歳で自殺未遂。16歳と17歳で婚約破棄、19歳と21歳で離婚を経験した。また、20歳の時にはヌード写真を公開している。
しかし、20歳台半ばから復活を果たし、09年のテレビ映画「グレイ・ガーデンズ 追憶の館」でゴールデングローブ賞主演女優を受賞。アフリカの子どもへの食料支援など慈善活動などにも携わっている。
ハンニバル・カダフィー氏。1976年生まれ、リビアの指導者、カダフィー氏の五男。医師、軍人、海運会社の経営者。欧州で数々の事件を引き起こしているが、外交官特権を盾に法的処分を免れている。
最も大きな騒動になったのは2008年、スイス・ジュネーブで使用人を虐待したとして元モデルの妻、アリーネさんとともに2日間、予備拘禁された事件。これに怒った父親がスイスへの石油輸出を禁止した上、リビアにいたスイス人ビジネスマン2人を拘束するなどしたため、スイスとリビアの外交問題に発展した。
ローマでは01年、ディスコから出たところで3人の警官にけがを負わせ、03年には6人のカメラマンを負傷させた。
パリでは04年に、シャンゼリゼ通りを時速140キロで逆走、制止しようとした機動隊員に対し護衛が乱暴を働いた。05年には当時妊娠中のアリーネさんを殴り、駆けつけた警官に暴行したとして執行猶予付き禁固4カ月の判決を受けている。
ロンドンでは09年に、妻のアリーネさんを殴り鼻骨を折った上、英国の警官の職務質問を拒否、護衛が一時拘束される事件があった。
ヒルトン姉妹。パリスさんは1981年2月17日、妹のニッキーさんは83年10月5日、ともにニューヨーク生まれ、曽祖父はヒルトンホテルの創始者、コンラッド・ヒルトン氏。資産家のセレブ姉妹として芸能活動やパーティー出席など通じ、注目を浴びる。
パリスさんは2006年に飲酒運転で逮捕されたのをはじめ、ドラッグ、無免許運転などでたびたび逮捕され、派手な異性関係でも知られる。10年にはコカイン所持剤で逮捕され、司法取引成立直後に来日しようとしたが、成田空港の入国管理事務所で足止めされて入国を断念したのも記憶に新しい。
ヒルトン姉妹の曽祖父、ヒルトン氏の元妻でハンガリー出身の女優、ザ・ザ・ガボールさんも、妹エバさんとのカボール姉妹として社交界で浮名を流した。ザ・ザ・ガボールさんの結婚歴は9回で、ヒルトン氏は2人目の夫。
現代のセレブ姉妹としては、オルセン姉妹も有名だが、オルセン姉妹は人気テレビ・コメディー「フルハウス」の子役として成功、財産を築いておりヒルトン姉妹とはやや来歴が異なるようだ。
ジャン・サルコジ氏。1986年9月1日、フランスのヌイイ・シュール・セーヌ市生まれ。フランス大統領、ニコラ・サルコジ氏の次男。両親は早くから別居、2番目のセシリア夫人に育てられる。ニコラ・サルコジ氏は子煩悩(ぼんのう)で「パパ・ガト(お菓子のように甘いパパ)」とも評されていた。
ジャン氏は学業では期待された成績を修められず、パリ大学法学部でも留年・落第を繰り返した。一時俳優を目指した時期もあった。08年に大手家電販売チェーン店、ダーティの跡継ぎ、ジェシカ・セバウンさんと結婚、10年には一男が誕生した。また、スクーターで高級車に当て逃げをしたとして07年には損害賠償を求める裁判を起こされたが、08年に容疑事実なしと認定されている。
学生時代から政治に関わり、08年に地元のオー・ド・セーヌ県議会議員に当選した。しかし、10年にパリ郊外の副都心、デファンス地区の開発公社(EPAD)の理事長選への立候補を表明すると、「若く実績もないのに親の七光りで重職に就くのはおかしい」といった批判が噴出。立候補断念に追い込まれた。
リストル・ペイリンさん。1990年10月18日、米アラスカ州アンカレッジ生まれ。次期米大統領候補とうわさされる共和党の女性政治家、サラ・ペイリン氏の長女。
保守的な主張で知られるサラ・ペイリン氏が米副大統領候補の指名を受けた直後の2008年9月、ブリストルさんの妊娠5ヶ月と18歳のリーバイ・ジョンストン氏との婚約が発表される。08年12月に男児を出産するが09年3月に婚約は破棄される。10年7月には再婚約が発表されるが、8月に再び破棄される。現在は婚前交渉を行わないよう呼び掛ける運動に従事している。
10年にはダンスの新人オーデション番組に出演。ダンスの経験がないのに決勝まで進み、母親の支持者が視聴者として組織票を入れたとの疑惑が持ち上がった。