極限状態を経験した軍人の名言【WWⅡ中心】

gun0ta
「戦争」という人間が直面しうる最も過酷な局面で命を張り続けた人物の名言を集めました。

「私が最後の原爆投下者であってほしい。」
-カーミット・ビーハン-

「軍は兵隊の骨までしゃぶる鬼畜と化しつつあり、即刻余の身をもって矯正せんとす」
-佐藤幸徳-

「我々は道をふさいだ岩石、小さな障害物にすぎず、流れを食い止めることはできなかった」
-ハンス・ウルリッヒ・ルーデル-

苦しいこともあるだろう。
云い度いこともあるだろう。
不満なこともあるだろう。
腹の立つこともあるだろう。
泣き度いこともあるだろう。

これらをじつとこらえてゆくのが男の修行である。

-山本五十六-

「空中戦おいては、興奮は禁忌である。僚機が分解しようが、地上が地獄であろうが、何が起きても常にクールたれ」
-マンフレート・フォン・リヒトホーフェン-

「悔しさが男をつくる、惨めさが男をつくる、悲しさが男をつくる。そして強大な敵こそが、真におまえを偉大な男にしてくれる」
-マンフレート・フォン・リヒトホーフェン-

「天空を駈け、敵機を見つけ、ただ撃墜しろ。あとはくだらないことだ」
-マンフレート・フォン・リヒトホーフェン-

「何ものも決して私を縛り付けることはできない、私は自由だ。」
-ハリー・フーディーニ-

「飛行機は機関銃や高射砲で落とすのではなく,気迫で落とすものだ。」
-東條英機-

「そのために命を捧げようという何かを持っていない男は、生きるのに値しないのではないか?」
-マーチン・ルーサー・キング-

「北ベトナムには水爆を落とし、石器時代に戻してしまえ」
-カーチス・ルメイ-

「独立のためなら、私は悪魔とも手を握る」
-サバス・チャンドラ・ボース-

「今日は死ぬにはいい日だ」
-クリンゴン人の戦士-

「永遠の争いが人類を強くし、永遠の平和が人類を弱くするのだ」
-アドルフ・ヒトラー-

「自由を!さもなくば死を!」
-パトリック・ヘンリー-

「できると言ったことを実行しただけだ」
-シモ・ヘイへ-

「自らを価値無しと思う者のみが、真に価値無き人間なのだ」
-ハンス・ウルリッヒ・ルーデル-

「引き金を引くだけで世界が平和になるのなら、それは平和と呼べるのだろうか」
-ジェイムス・テラー-

「私達は未来の為に死ぬのではない。家族を守る為に死ぬのだ」
-五味健輔-

「平和を思うのに死にに行く。それが異常だと気づけない。」
-藤原寛治-

「その銃弾が作るのは、百年の平和かそれとも一生の後悔か」
-スワン・マイルズ-

「前を見ろ。奴を見ろ。目を見ろ。今から殺すそいつの未来はもう無いのだから。」
-ミゲル・ローレンス-

「我々がもし天に抗する気力がなければ、天は必ず我々を滅ぼすだろう。 諸君、必ず天に勝て 」
-福島泰蔵-

「ベルリンは陥落した。さあ、次はモスクワだ!」
-ジョージ・パットン-

「余ハ常ニ諸子ノ先頭ニアリ 」
-栗林忠道-

「兵士が陸軍にいるのではない、兵士そのものが陸軍なのだ」
-クレイトン・エイブラムス-

「怪しいところは、弾丸をぶちこめ」
-エルヴィン・ロンメル-

「可能なら実行する。不可能でも断行する」
-マルセル・ビジャール-

「視点を変えれば不可能が可能になる」
-ハンニバル・バルカ-

「戦いは相手次第。生き様は自分次第」
-小野田寛郎-

「・・・飛行機が一機もなくなったからこそ私の存在の意義があるのです飛行機がなくとも市丸は戦う、死なばもろともという精神を兵も理解してくれるでしょう」
-市丸利之助-

「そりゃ車の方がいいに決まってますよ。車はバックできますから」
-坂井三郎-

「日本軍が捕虜を虐待したのは理解できる。彼ら自身が捕虜になるのを恥じていたからだ」
-マイク・ホアー-

「お前たちは国のために死にに行くのではない、国のために死にたい敵兵を、彼らの国のために死なせてやりに行くのだ」
-ジョージ・パットン-

「男は生涯において、一事を成せばいい」
-秋山好古-

「百年兵を養うは、ただ平和を守るためである」
-山本五十六-

「わが軍の右翼は押されている。中央は崩れかけている。撤退は不可能だ。状況は最高、これより反撃する」
-フェルディナン・フォッシュ-

「敵機は目で見るんじゃありません。感じるもんです」
-岩本徹三-

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」
-ダグラス・マッカーサー-

「落ち着け、そしてよく狙え。お前はこれから一人の男を殺すのだ」
-チェ・ゲバラ-

番外編 ~史上最大級の愚将~

「敵に撃たれてどうするかと聞いてくる軍人があるか!」
「あれは私のせいではなく、部下の無能さのせいで失敗した」
「陛下へのお詫びに自決したい」
「一度、教育総監をやってみたい」

-牟田口廉也中将-

歴史に残る言わずと知れたクズ軍人。

インパール作戦を立案・強行し壊滅的な損害を出したにも関わらず一切責任を取らず、戦後も「負けたのは自分のせいではない、部下が無能だったからだ!」と言い続けました。

最後まで責任を認めることはなく、自分だけは畳の上で遺族に見送られながら幸せな死を迎えています。

インパール作戦(インパールさくせん、日本側作戦名:ウ号作戦(ウごうさくせん))とは、1944年(昭和19年)3月に日本陸軍により開始され7月初旬まで継続された、援蒋ルートの遮断を戦略目的としてインド北東部の都市インパール攻略を目指した作戦のことである。

補給線を軽視した杜撰(ずさん)な作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫し、無謀な作戦の代名詞として現代でもしばしば引用される。

「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。
司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、 一応形式的にも止めないわけには参りません。
司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。
心置きなく腹を切って下さい。
今回の作戦(失敗)はそれだけの価値があります」

-牟田口旗下の士官(インパール作戦終了後のやり取りから)-

インパールの失敗の責任を取り切腹すると言い出した牟田口への部下からの言葉。

つまり、部下が止めてくれることを見越しポーズだけで責任を取るといった牟田口に対し、「甘えるな。黙って死ね。」と言っています。

https://matome.naver.jp/odai/2137972371248854401
2013年11月05日