難病,奇病にかかった有名人まとめ

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胸椎黄色靱帯骨化症

脊柱の後方にある椎弓をつなぐ黄色靭帯にカルシウムが沈着することで骨化することにより発症する疾患。

骨化した黄色靭帯が脊髄を圧迫することにより、下肢のしびれ、脱力などの症状が発生し、ひどい場合には両下肢麻痺などの症状をきたすこともある。

原因が不明であるため、経過が予測できないことから消炎鎮痛剤などを投与して経過を観察する。

星野仙一
日本の元プロ野球選手、元プロ野球監督。
選手時代のポジションは投手。2011年より東北楽天ゴールデンイーグルス監督を務める。2008年には北京オリンピック野球日本代表の監督も務めた。

2014年、持病の腰痛が悪化。その後の検査で難病(=特定疾患)の一種である腰椎椎間板ヘルニアと胸椎黄色靱帯骨化症と診断され、休養を発表。その後手術を受け退院した。
星野仙一 – Wikipedia

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特発性大腿骨頭壊死症

股関節の病気のひとつで、大腿骨の上端の大腿骨頭の骨組織が壊死し、関節が変形・破壊する病気であり、このうち原因がはっきりしないものをいう。

厚生労働省の特定疾患に指定されている。

坂口憲二
俳優。
テレビドラマ『ベストフレンド』で俳優業を始動。『本日も晴れ。異状なし』『医龍 -Team Medical Dragon-』『機関車先生』などに主演。

2018年、厚生労働省指定の特定疾患「特発性大腿骨頭壊死症」を発症しており、仕事を続けることが困難であるため、無期限で芸能活動を休止する旨を発表した。
坂口憲二 – Wikipedia

美空ひばり
歌手、女優。
昭和の歌謡界を代表する歌手の1人であり、女性として史上初の国民栄誉賞を受賞した。

1987年、重度の慢性肝炎および両側特発性大腿骨頭壊死症と診断され、約3か月半にわたり病院にて療養に専念となった。
美空ひばり – Wikipedia

Ryoji
歌手。
「ケツメイシ」のボーカル担当。

2016年に放送された「情熱大陸」の放送内にて「特発性大腿骨頭壊死症」である事が明かされる。
ケツメイシ – Wikipedia

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もやもや病

もやもや病とは脳底部に異常血管網がみられる脳血管障害。

名前の由来は脳血管造影の画像において、異常血管網が煙草の煙のようにモヤモヤして見えることから。

徳永英明
シンガーソングライター。
「輝きながら…」がヒット曲となり、ブレイク。女性ヴォーカルの曲をカヴァーしたアルバム『VOCALIST』が話題となった。

2001年、もやもや病(脳血管障害の一種)のため、コンサートツアーを中止。翌年もやもや病を克服。レコード会社をユニバーサルミュージックへ移籍し、活動を再開。
徳永英明 – Wikipedia

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ギラン・バレー症候群

ギラン・バレー症候群とは、急性・多発性の根神経炎の一つで、主に筋肉を動かす運動神経が障害され、四肢に力が入らなくなる病気である。

日本の有名人も多数発症している。

芳根京子
女優。
NHK朝の連続テレビ小説『べっぴんさん』のヒロインとして出演。

中学2年生でギラン・バレー症候群を発症したが、その後克服する。
芳根京子 – Wikipedia

大原麗子
女優。
高倉健の『網走番外地』シリーズ、千葉真一の『夜の青春』シリーズをはじめ、数々の映画に出演した。映画『男はつらいよ』シリーズでは、マドンナ役を2度務めた。

1975年に神経疾患であるギラン・バレー症候群を発症。1999年11月から翌年にかけてギラン・バレー症候群が再発したとして芸能活動を休止した。
大原麗子 – Wikipedia

安岡力也
俳優・タレント。
東映が製作する千葉や志穂美悦子主演の格闘映画に次々と出演。春日井製菓のコマーシャルで「黒飴マン」に扮した。

2006年6月下旬にギラン・バレー症候群罹患である疑いのため東京都内の病院に入院。2010年、『徹子の部屋』にリハビリ後の復帰初仕事として出演。
安岡力也 – Wikipedia

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佐藤寿人
プロサッカー選手。
Jリーグのサンフレッチェ広島所属。ポジションはフォワード。代表経験あり。

2002年春先にギラン・バレー症候群を発症したため出遅れ、出場機会を得ることはできなかった。
佐藤寿人 – Wikipedia

福永泰
元プロサッカー選手。
ポジションはミッドフィールダー。浦和のエース福田正博とのコンビネーションは「フクフク・コンビ」と呼ばれた。

1997年はギラン・バレー症候群により長期欠場を余儀なくされた。
福永泰 – Wikipedia


Tripadvisor 蒲郡競艇場
石川真二
競艇選手。
愛知支部所属。2008年には江戸川大賞IN蒲郡で初G1を獲得。2014年、全24場制覇を達成。

2001年、ギラン・バレー症候群という難病を患い選手生命どころか生命自体の危機に瀕する。必死に治療に専念し、4カ月後選手復活を果たした。
石川真二 – Wikipedia

川口順子
政治家、通産官僚。
外務大臣(第133・134代)、環境大臣(第1・2代)、環境庁長官(第39代)、参議院議員を歴任した。女性官僚の草分け的な存在。

2007年3月、ギラン・バレー症候群を発症。病状は重度のものではなく、車椅子によるリハビリ生活を送りながら、同年7月の第21回参議院議員通常選挙に比例区から出馬し再選。
川口順子 – Wikipedia

美馬寛子
女性モデル。
ミス・ユニバース・ジャパン(2008年)として知られる。

中学1年生のとき、ギラン・バレー症候群を発症したが3か月療養し、完治した。
美馬寛子 – Wikipedia

有村竜太朗
アーティスト。
V系ロックバンドであるPlastic Treeのボーカル、エッセイスト、及びファッションブランド「GADGET GROW」のファッションモデル。

2010年、所属事務所よりギラン・バレー症候群を発症したことが発表され、同年末のライブを中止した。現在は克服し復帰。
有村竜太朗 – Wikipedia

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多発性硬化症

中枢性脱髄疾患の一つで、脳、脊髄、視神経などに病変が起こり、多様な神経症状が再発と寛解を繰り返す疾患である。

経過中に多く見られるのは運動麻痺、感覚障害、深部反射亢進、視力障害、病的反射などである。

林家こん平
落語家。
演芸番組『笑点』の大喜利メンバーの一人だった。

2005年、多発性硬化症と診断されていたことを公表。退院後も通院しながらリハビリを行っている。
林家こん平 – Wikipedia

伊藤智也
車椅子陸上アスリート。
北京パラリンピックにおいて、男子400m T52と、男子800m T52において金メダルを獲得。800m T52においては世界記録を樹立。

1998年、仕事中に多発性硬化症 (MS)を発症。自立歩行が困難になる。入院中に車椅子を注文したが、間違って陸上競技用の車椅子を注文してしまったのが競技を始めるきっかけとなる。
伊藤智也 – Wikipedia

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ベーチェット病

目、口、皮膚、外陰部の他、中枢・末梢神経、消化管、関節、血管をおかす全身性の疾患である。

急性炎症が反復することを特徴とし、増悪と寛解を繰り返しながら遷延化した経過を辿る難治性疾患である。

MATSU
ダンサー、俳優、演出家。
EXILEのメンバーで元パフォーマー。

2007年、難病指定を受けているベーチェット病に侵されていることを告白し、左目の視力をほとんど失っていることを明らかにした。
松本利夫 – Wikipedia

真山亜子
声優。
2003年までは、水原リン名義で活躍していた。出演作は『美味しんぼ』(田畑絹江)、『ちびまる子ちゃん』(杉山さとし)、『グランダー武蔵』(大森卓)など。

ベーチェット病とクローン病という2つの難病の患者である。
真山亜子 – Wikipedia

柴田章吾
元プロ野球選手。
読売ジャイアンツに所属していた。

中学3年生の時にベーチェット病を発症。入院生活や長期間練習ができない時期もあったが、3年生夏に甲子園に出場。
柴田章吾 – Wikipedia

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メニエール病

激しい回転性のめまいと難聴・耳鳴り・耳閉感の4症状が同時に重なる症状を繰り返す内耳の疾患である。

misono
歌手、タレント。
day after tomorrowのボーカル。姉は歌手の倖田來未。

2019年、生活情報番組『ノンストップ!』の中でメニエール病であることを明らかにした。
misono – Wikipedia

栗山英樹
元プロ野球選手(外野手)、プロ野球監督、野球解説者。北海道日本ハムファイターズの監督を務める。

プロ野球選手時代に平衡感覚が狂う三半規管の難病であるメニエール病に苦しめられた。
栗山英樹 – Wikipedia

久保田利伸
シンガーソングライター、音楽プロデューサー。
『LA・LA・LA LOVE SONG』はテレビドラマ『ロングバケーション』主題歌となり大ヒット。

2006年 メニエール病を発症し、治療に専念するために予定されていたコンサートの一部を中止、または延期とした。
久保田利伸とは – goo Wikipedia (ウィキペディア)

ハイヒールモモコ
タレント。
女性漫才コンビハイヒールのツッコミ担当。

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膠原病(こうげんびょう)

全身の複数の臓器に炎症が起こり、臓器の機能障害をもたらす一連の疾患群の総称。典型的な症状として発熱・皮疹・倦怠感・関節痛・関節炎・筋肉痛・内臓病変・レイノー現象などがあげられ、女性に多いのも特徴である。

藤田三保子
女優・シャンソン歌手・画家。
連続テレビ小説『鳩子の海』のヒロイン。
安奈淳
女優。
宝塚歌劇団の元星組・花組男役トップスター。『ベルサイユのばら』オスカル役を演じ、第1期ベルばらブームを築く。

2000年、膠原病の一種であるSLEで倒れ、長期の療養生活を余儀なくされた。
安奈淳 – Wikipedia

後藤邑子
声優。
アニメ・歌などを中心に精力的に活動。

2012年、全身性エリテマトーデス(SLE)と診断。長期間の闘病ののち仕事に復帰。
後藤邑子 – Wikipedia

酒井若菜
女優、作家、元グラビアアイドル。
数々のドラマに出演。文筆業にも力を入れる。

19歳の時に膠原病を発病。
酒井若菜 – Wikipedia

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重症筋無力症

筋肉の易疲労性や脱力が起こる自己免疫疾患である。有病率は10万人に4~5人。筋力低下が主症状。外眼筋の筋力低下による複視や眼瞼下垂(高頻度)・構音障害・嚥下困難など、頭部から症状が現れることが多い。発症の初期では、増悪と寛解を繰り返す。完全寛解はまれ。

萬屋錦之介
歌舞伎役者、時代劇俳優。
妻はいずれも女優の有馬稲子(初婚)、淡路恵子(再婚)、甲にしき(再々婚)。

1982年、歌舞伎公演の最中に倒れ入院し、重症筋無力症と診断された。翌年に重症筋無力症を克服した。
萬屋錦之介 – Wikipedia

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筋萎縮性側索硬化症(ALS)

重篤な筋肉の萎縮と筋力低下をきたす神経変性疾患。極めて進行が速く、半数ほどが発症後3年から5年で呼吸筋麻痺により死亡する(人工呼吸器の装着による延命は可能)。治癒のための有効な治療法は確立されていない。

徳田虎雄
医師、元政治家。
医療法人徳洲会理事長、元自由連合代表、元衆議院議員。

2002年頃に筋萎縮性側索硬化症(ALS)を発症し政界から引退した。
徳田虎雄 – Wikipedia

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右目下直筋肥大

視力が落ち、物が二重に見える「複視」といった症状があらわれる。

根津甚八
元俳優で演出家、脚本家。
『失楽園’79』、映画『その後の仁義なき戦い』などで主演した。

2002年頃から右目下直筋肥大という顔面の病気を患い活動を縮小していた。
根津甚八 (俳優) – Wikipedia

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クローン病

主として口腔から肛門までの全消化管に、非連続性の慢性肉芽腫性炎症を生じる原因不明の炎症性疾患。10~30歳に多く見られ、日本での罹患者数は約2万人以上で、潰瘍性大腸炎よりは罹患者数は少なく、中高年での発症はほとんど無い。

山田まりや
タレント、女優、元グラビアアイドル。
明るく好奇心旺盛なキャラクターで、数多くのバラエティ番組で活躍。

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スモン

別名:亜急性脊髄視神経症。整腸剤キノホルムによる薬害。当初は原因不明の風土病とされた。スモンは、キノホルム投与により激しい腹痛が起こり、2~3週間後に下肢の痺れ、脱力、歩行困難などの症状が現れる。舌に緑色毛状苔が生え、便が緑色になる。

志鳥栄八郎
音楽評論家。
「クラシック音楽興隆会」の創設者。

酒好きで胃腸が弱かったため、整腸剤を常用していたが、原材料のキノホルムの副作用により1968年から難病スモンを患い、視力低下や身体の激痛、痺れに苦しんだ。
志鳥栄八郎 – Wikipedia

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急性リンパ性白血病

リンパ球系の造血細胞が腫瘍化し、分化・成熟能を失う疾患であり、ALLと略される。小児白血病の多くは急性リンパ性白血病である。

中島忠幸
お笑いタレント。
お笑いコンビ「カンニング」のひとりとして活動していた。

2004年病気療養を理由に休業、急性リンパ性白血病の治療中であることを公表した。臍帯血移植を受けて軽快傾向とも伝えられたが、ウイルス性肺炎の併発によって死去した。
中島忠幸 – Wikipedia

シェーグレン症候群

涙腺の涙分泌を障害、唾液腺の唾液分泌などを障害する。

菊池桃子
女優・タレント・元アイドル歌手。
一男一女の母。元夫はプロゴルファーの西川哲。

2012年、シェーグレン症候群を患っていることを明かした。
菊池桃子 – Wikipedia

和田アキ子
歌手、タレント。
1985年からTBS『アッコにおまかせ!』の司会を担当。

抗リン脂質抗体症候群

自己免疫疾患のひとつ。自己抗体ができることによって、全身の血液が固まりやすくなり、動脈塞栓・静脈塞栓を繰り返す疾患である。

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