8月30日 あのトウカイテイオーが死んだ・・・
90年代の競馬シーンを語る上でなくてはならない存在、トウカイテイオーがこの世を去った。ファンに愛された希代の名馬は、30日の午後3時半ごろ、社台スタリオンステーション(SS)の功労馬用厩舎内の馬房で倒れたまま、起き上がることはなかった。
トウカイテイオー急死…25歳、急性心不全 (サンケイスポーツ) – Yahoo!ニュース
http://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=78684
トウカイテイオーの死を悲しむ声も続々・・・
ドンパチ@day8etter
ムウミン@muu90b
中村拓哉@9clm66
あー名馬が次々(´Д` )
SSサンデーサイレンス@197812003266100
猫助@Guchikiyo8
よこま○IN佐渡島@sasurai21
アキラ@akirak249
ルシン@rushin07
迷探偵コンナン@decorse_wisemel
S.Yamashita@nemasita
有馬で会心の馬券を取らせてもらった奇跡の復活は忘れられん(*_*)安らかに
G.S@タイガースファン@soccerball3551
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chigaumonoマンハイパー@chigaumono_0930
キラ・ヤマト@GUNDAMGUNDAMRX0
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いんDOぉ@shun0325ta
sugaring@sugaring
神戸拓光『奇跡の復活‥。』 amba.to/198ESuO
トウカイテイオー
この馬は、ギュ~に初めて競馬の素晴らしさを教えてくれた馬だったんです。
そのトウカイテイオーが余生を送っていた牧場で亡くなりました。
25歳
馬にしてみれば長生きした方です
たき(福清love)@turibakayarou1
ご冥福お祈りいたしますm(_ _)m
何が、そこまで彼をドラマティックにさせたのか・・・
まずは、その血統
父は競走馬時代にクラシック三冠を含むGI競走7勝を挙げ、「皇帝」と称されたシンボリルドルフ。母トウカイナチュラルは、優駿牝馬(オークス)優勝馬トウカイローマンの半妹である。
トウカイテイオー – Wikipedia
父親は、日本競馬最強の呼び声高い「皇帝」シンボリルドルフ。
そのシンボリルドルフの初年度産駒。
誰もがルドルフの強さを超えんとする彼の可能性にみんな惹かれた。
そして、その波乱に満ちた競争生活
父シンボリルドルフは「強すぎて退屈」とも評され、人気の面では比較的冷めた見方をされていたのに対し、テイオーは人気が高い馬であった。人気の背景にはさまざまな要因があるが、とくに浮沈の激しい競走生活がファンの心を掴んだという見方がある
トウカイテイオー – Wikipedia
では、そのドラマティックな競争生活を振り返ろう・・・
3冠馬シンボリルドルフの初年度産駒で、91年に父と同じく無敗のまま皐月賞とダービーを制した。
さらば帝王…トウカイテイオー急死 – 競馬ニュース : nikkansports.com
日本競馬史上でグレード制導入後、
デビューから無敗で皐月賞、ダービーを制した馬は、トウカイテイオー以外は、
父シンボリルドルフ、ディープインパクト、ミホノブルボンしか成しえていない偉業。
しかしテイオーは、表彰式を終えて競馬場内の出張馬房に戻る時点で歩様に異常を来しており、診療所でレントゲン撮影が行われた[13]。レントゲンの結果、左後脚の骨折が判明。3日後には公式に「左第3足根骨骨折・全治6か月」と発表され、年内の休養と最後の一冠・菊花賞の断念を余儀なくされた。当年の菊花賞にはレオダーバンが優勝している。
トウカイテイオー – Wikipedia
無敗のダービー制覇後、すぐに骨折。
誰もが夢見たシンボリルドルフとの親子クラシック3冠制覇は成らなかった。
また、最後の一冠菊花賞を テイオーがダービーで3馬身差で退けたレオダーバンであったことから、骨折していなければ、3冠は確実だったとの声も多い・・・
騎乗した安田騎手は「ダービーに関しては(シンボリルドルフより)
テイオーの方が強い勝ち方だったのでは」と述べ
この瞬間、誰もが3冠確実と思ったが・・・
骨折後、1つ年重ねたテイオーは衝撃の復帰を果たす。
骨折長期休養明け。初めての古馬混合戦。
未知な材料が多かったが、他の馬は騎手に激しく追われ、ムチも入っている中で、
テイオーは、ほとんど馬なりのまま完勝!!!!
格の違いを見せつけたレース。
骨折休養を経て、翌年の4歳春・大阪杯から岡部幸雄騎手を背に戦列へ復帰し、古馬初対戦のこのレースでも1.3/4馬身差で完勝し、戦歴は7戦無敗に。
さらば帝王…トウカイテイオー急死 – 競馬ニュース : nikkansports.com
復帰は翌年春の大阪杯。鞍上には父の主戦だった岡部騎手がいた。
テレビアナウンサーの「他の馬はどうでも良い」という名(迷)実況の通りの大を楽勝。
日刊競馬で振り返る名馬 – トウカイテイオー(1993年・第38回有馬記念)
復帰戦を危なげなく白星で飾ったテイオー。次戦に注目が集まった。
無敗のまま迎えた天皇賞(春)(4月26日)は、本競走の前年度優勝馬メジロマックイーンとの「世紀の対決」が注目を集めた
トウカイテイオー – Wikipedia
一つ上の年代のトップホース。メジロマックイーンとの対戦は大きな注目を集めたが・・・
メジロマックイーンとの世紀の決着で5着に敗退。初めての敗北を喫するともに、また骨折・・・ 長期の休養を余儀なくされる。
そして同年11月 秋の天皇賞で復帰を果たすも・・・
11月1日の天皇賞・秋で復帰を迎え、1番人気に推されるも7着に沈み、デビューから初めて掲示板(5着以内)を確保できなかった。
1990年代の大スター、トウカイテイオーが心不全で急死…25歳| netkeiba.comニュース
本調子でなかったことと、前半1000メートル通過が57秒5という「殺人的なハイペース」に巻き込まれたことが原因とされる。
2連敗したトウカイテイオー 続けて、世界の強豪に挑戦!!!
続くジャパンカップ(11月29日)は、当年から国際GI競走として認定され、イギリス二冠牝馬のユーザーフレンドリー(GI競走4勝、当年の全欧年度代表馬)を筆頭に、史上初めて現役のイギリスダービー馬が一挙に2頭来日、オーストラリアから全豪年度代表馬のレッツイロープ、フランスからはアーリントンミリオンの優勝馬ディアドクターなど世界中の強豪馬が集まり、「ジャパンカップ史上最強メンバー」とも評された
トウカイテイオー – Wikipedia
、11月29日のジャパンCは、強力な外国馬が参戦してきたこと、前走での惨敗を受けて5番人気に留まっていたが、1年半前のダービーと同じ8枠のピンク帽が4コーナーを唸るような手応えで回り先団へと取り付くと、残り200mで先頭に並んで残り100mでは先頭に立ち、父シンボリルドルフとともに同レースの「父子制覇」を成し遂げてみせた。
1990年代の大スター、トウカイテイオーが心不全で急死…25歳| netkeiba.comニュース
日本馬の勝利は1985年の父シンボリルドルフ以来7年ぶり3頭目であり、同時にトウカイテイオーは日本競馬史上最初の国際GI優勝馬となった
トウカイテイオー – Wikipedia
世界の強豪に勝利し、続くグランプリ有馬記念も確勝と思われたが・・・
グランプリ・有馬記念では、出走馬選定のファン投票で17万票以上を集め、第1位で選出。12月19日の開催で騎乗停止処分を受けていた岡部に代わり、鞍上には田原成貴が迎えられた。ジャパンカップとは一転して「絶好調」と報じられ[22]、当日も1番人気に支持される。しかしレースでは終始後方のまま、生涯最低の11着に終わった。
トウカイテイオー – Wikipedia
伏兵メジロパーマーの逃げ切りを許し、生涯最低着順に沈んだ・・・
まさかの惨敗・・・
さらに年明け早々、けがによる休養・・・
さらにさらに復帰直前に、3度目の骨折・・・
翌1993年1月3日、左中臀筋を痛めていたことが判明し、鹿児島県の山下牧場で休養に入る[3]。3月に帰厩、宝塚記念での復帰を目標に調整されていたが、競走10日前に左前トウ骨の剥離骨折が判明し、ふたたび休養に入った。
トウカイテイオー – Wikipedia
しかし、これがトウカイテイオー最大のドラマを演出する・・・
骨折が言えたテイオーの復帰は、前年大敗した有馬記念。 実に364日ぶり、 騎手も同じ田原成貴 結果は・・・
好スタートを切ったトウカイテイオーが、道中から惚れ惚れするような行きっ振りを見せて好位集団の直後を追走すると、勝負所の最終4コーナーでは、あの唸るような抜群の手応えで3番手まで進出。直線半ばで逃げ込みを図る1番人気ビワハヤヒデを捕らえると、残り100mで見事に差し切ってみせ、ファン・関係者の誰もが驚いた「奇跡の大復活」は、あまりに有名なシーンとなって、劇的なGI4勝目を挙げた。
1990年代の大スター、トウカイテイオーが心不全で急死…25歳| netkeiba.comニュース
田原は優勝騎手インタビューにおいて、「この勝利は、日本競馬の常識を覆したトウカイテイオー、彼自身の勝利です。彼を褒めてやって下さい[25]」と涙を流しながら語った。
前回の出走から中363日でのGI勝利は長期休養明けGI勝利の最長記録となり、現在まで破られていない
トウカイテイオー – Wikipedia
日本競馬史上に残る「奇跡の復活」を遂げたトウカイテイオー
その後、現役続行目指すも、4度目の骨折、そして引退。
「皇帝」、「帝王」に続く産駒を期待された種牡馬生活。
トウカイポイント、ヤマニンシュクル、ストロングブラッドと
3頭のG1勝ち馬を輩出した。
2013年8月30日。そんな華やかでドラマティックな競走馬人生を歩んだトウカイテイオーの死。冥福を祈ろう・・・
レース以外の部分でも、いわゆるイケメン顔や立ち姿が大変美しかったことでも有名で、同馬の追っかけファンも数知れず。大勢の競馬ファンから愛された、1990年代初めの競馬を代表するスーパーホース・「テイオー」がこの世を去った。
1990年代の大スター、トウカイテイオーが心不全で急死…25歳| netkeiba.comニュース