好投手の予選敗退に”安堵”する「大人」がいる
プロ野球側はどうなのか。試合のあった横浜スタジアムには各球団のスカウトがずらりと並んだ。「残念だったね」という声は当然あった。
しかし、彼らの本音はかなり違う。「プロからすれば肩を使わなくて済んだ。夏の甲子園で目いっぱい投げて故障でもされたら困る」というわけである。将来を案じる声が少なくないのだ。
桐光学園・松井裕樹が予選敗退の大波乱 プロ野球スカウトの「本音」は意外にも・・・ : J-CASTニュース
桐光学園・松井裕樹投手が予選敗退した際に出た記事です。
実際にスカウトが言った、という内容ではありませんが、こういう見方をする層もいる、ということです。
そしてそれは、こういう見方をするのが悪い、という話でもないのです。
甲子園での「投げ過ぎ」はもう何十年も問題として指摘されている
夏の甲子園の優勝投手はプロでは大成しないというジンクスがある。最近の選手を例にとっても、78年の西田真二(PL学園~法政大~広島)80年の愛甲猛(横浜高~ロッテ~中日)81年の金村義明(報徳学園~近鉄~中日~西武)82年の畠山準(池田高~南海~横浜)らは炎天下の酷使が原因で肩やヒジを痛め、その後はバッターに転向した。
荒木大輔(早稲田実~ヤクルト)水野雄仁(池田高~巨人)ら甲子園で騒がれたピッチャーもプロに入ってからは故障に泣き、ドラフト1位指名に見合う活躍はできなかった。甲子園の優勝投手で、プロに入ってからも投手として活躍している選手といえば、最近では桑田真澄(PL学園~巨人)と松坂大輔(横浜高~西武)くらいのものだろう。
ジンクス2
少し記事が古いのですが、優勝投手に限らずとも、「前評判通りの活躍をした投手」は非常に少ないといえます。
「上位の顔ぶれに共通しているのは、当時のチーム内で傑出度が高いこと。つまり2番手、3番手の投手との実力差があり過ぎました。その典型が、沖縄勢として初の優勝を目指した沖縄水産の大野倫投手です。彼の場合は、エースの座を争った同級生が県大会の直前に急性腎孟炎で入院したという事情があり、他にマウンドを託せる投手がいなかったのです」(スポーツライター田尻耕太郎)」
斎藤も松坂も…安楽くん大丈夫か? 「投げ過ぎ甲子園球児」たちは、今後悔しているのか | スポーツ | 現代スポーツ | 現代ビジネス [講談社]
この問題を語るときに必ず名の上がる投手、大野倫。
3年の春、ダブルヘッダーの練習試合で2試合18イニングを完投した2日後、ブルペンでの投球練習中に右ひじが音を立て激痛が走った。しかし、周囲にはこのことを隠し、通院すれば試合に出場できなくなるため治療せずに練習を続けた。(中略)県大会では医者の警告を受けながら痛み止めの注射を打って登板し[3]、第73回高校野球選手権大会への出場を決めた。県大会の優勝後は喜びよりも安堵感の方が強かったという[1]。本大会では2回戦の対明徳義塾戦ですでに本来の制球力がない状態だったが[4]、有力な控え投手がいないため決勝まで6試合全てで完投し、3回戦以降は4連投となった。大会中も泊まりがけで佐賀県の整体師を訪ねるほど満身創痍だったが、「お前と心中するぞ」という栽弘義監督の信頼に応えるために投げ続けた。(中略)大会後、右ひじの疲労骨折と診断され、手術を受けたところ剥離骨折した親指の爪ほどの骨片が複数摘出された。
大野倫 – Wikipedia
悲劇が酷使の右腕を襲ったのは、決勝戦の対大阪桐蔭戦。試合途中で右ヒジが完全に曲がってしまい、正常な状態で腕が振れなくなってしまったのだ。閉会式では右腕をくの字に折ったまま行進せざるをえなかった。スタンドからそのシーンを目のあたりにした母・良江さんは「あの子のヒジが・・・」と言ったきり顔を伏せ、絶句した。
大野は語った。「決勝戦はヒジがパンクして、キャッチボールすら満足にできない状態。痛みも限度を超えると、頭がボォーッとして自分でも何をやっているのか分からなくなってくるんです。試合中、一度も勝てる気はしなかった。だから負けても少しも悔しくなかった。むしろホッとしたというのが実感でした」
ジンクス3
この後、大野選手は九州共立大学に進み、のちに野手として巨人に入団します。
それほどまでに非凡な選手だったのです。
この悲劇の翌年、さすがに高野連も対応をとる。
故障のため選手権大会の閉会式の行進でも130度にまがったままの大野の右ひじは痛々しさを感じさせ[2]、大会の過酷な日程には批判も寄せられた[25]。高野連会長の牧野直隆は大阪大学医学部の越智隆弘に相談し、連投が美談とされていた風潮の中で1993年の第75回高校野球選手権大会から投手の肩やひじの関節検査を試験的に導入し、翌年から本格導入された[2]。また1993年に高野連は投手複数制を加盟校に奨励し[26]、これを受けて後にベンチ入り選手数も増加している。
大野倫 – Wikipedia
今年の検査の結果は、投球禁止該当者なし。
日本高校野球連盟は6日、第95回全国高校野球選手権(8日開幕、甲子園球場)に出場する49校の投手を対象とした肩、肘の関節機能検査の結果、大会規定の投球禁止に該当する選手はいなかったと発表した。140人が検査を受け、炎症の度合いで6人が中程度、23人が軽度と診断された。
時事ドットコム:投球禁止の該当投手なし=高校野球
それでも、現在炎症を起こしている投手はいるようです。
中程度の炎症がどのくらいを指すのかは分かりませんが。「肩が重い」くらいのが中程度ならいいんですが。
更に、今回からは日程も改善
8日に開幕する第95回全国高校野球選手権大会(甲子園)で、大会史上初めて休養日が導入される。2日間で行っていた準々決勝を1日で消化し翌日を完全休養日とすることで、連戦は最大で「2」になる。連投で負担の大きい高校生投手には大きな1日となる。
甲子園、初の休養日導入 「勢いストップする」メンタル面の課題も – スポーツ – ZAKZAK
一日の休養は非常に大きいはずです。
これからも、さらなる改善がなされていくことを、一野球ファンとしては願うばかりです。
ところで、これとはまた違った形での「酷使」。
松井の場合、春の県大会の5試合のうち4試合に登板、関東大会に進出すると、初戦の花咲徳栄(埼玉)戦で168球を投げた。続く2回戦(5月20日)では投げずチームは敗退したが、その僅か5日後の25日には熊本遠征。松井は東海大星翔戦で先発と抑えとして登板し、5回で8奪三振。翌26日の熊本工との試合ではリリーフで1回投げ、3奪三振。驚くべきことに、その翌週末にも福岡に遠征し、東海大五高相手に先発して5回10奪三振。翌日の久留米商戦でもリリーフで5回を投げて8奪三振。九州への2週続けての遠征という異常なスケジュールが終わると、今度は早実、常葉橘、関東第一、報徳、浦和学院、千葉経大付という強豪校との練習試合が続いた。
“奪三振王”桐光・松井裕樹県大会敗退の陰に“大人の思惑” | THIS WEEK – 週刊文春WEB
あまりにも忙しすぎる日程。こうなった理由は、「松井が有名だから。」
甲子園で大注目されると週末は遠征試合に明け暮れることになる高校野球界。そうした試合を主催するのは地区の高野連やテレビ局などで、当然ながら興行収入は彼らのものとなる。簡単に言えば、甲子園のスターで本大会以外の時期に商売するシステムだ。
“奪三振王”桐光・松井裕樹県大会敗退の陰に“大人の思惑” | THIS WEEK – 週刊文春WEB
つまり、これは単なる練習試合ではない、ということでしょうか。
本当にこの記事に書かれているようなことがあるのであれば、それは、あまりにもやるせなくはないでしょうか。
甲子園は、夢の舞台…?
どうやら、甲子園というのは、美しくてさわやかなドラマの舞台であるだけではないようです。
参考リンク
今回のまとめでは触れませんでしたが、乙武洋匡さんがTwitter上で問題提起し、レンジャーズダルビッシュ投手なども意見を交わした際の記録です。