緊張が高まる情勢
スペインが返還を求めているイベリア半島南端のイギリス領ジブラルタルで、スペイン政府が国境の検問を強化するなどの措置をとり、これに対してイギリスのキャメロン首相が深刻な懸念を表明するなど、両国の間で領有権を巡る争いが再燃するおそれも出ています。
ジブラルタル巡る争い 再燃も NHKニュース
2013年8月6日のニュースより。
スペイン南端にある英領ジブラルタルは5日、スペイン政府を「まるで北朝鮮」と呼んで強く非難した。スペイン外相が4日付の同国紙ABCのインタビューで、ジブラルタルに出入りする車両に50ユーロ(約6500円)を課税する考えを示したことに猛反発した。
時事ドットコム:ジブラルタル、「北朝鮮」と非難=スペインとの対立激化
2013年8月6日のニュースより。
ジブラルタルってどこ?
ちなみにジブラルタルの面積は、埼玉県の鳩ヶ谷市とだいたい同じくらいで、東京都の中央区よりずっと小さいです。
地中海縦横旅4 ジブラルタルは面白い:ぐわぐわさんの旅行ブログ by 旅行のクチコミサイト フォートラベル
奥に見える山が「ザ・ロック」と呼ばれる岩山で、ジブラルタルを代表する景勝地。
自由港で、租税回避地(タックス・ヘイヴン)のため、多くの観光客が訪れています。
300年以上も続く領土問題
スペイン王位継承戦争の際に、イギリス-オランダ連合艦隊がスペイン-フランス連合艦隊を破り、1704年、イギリスがジブラルタルを占領。これが、今日まで続くジブラルタルのイギリス統治の始まりである。
ceuta
1713年にユトレヒト条約の締結によって戦争が終結するものの、その条約でジブラルタルはイギリス領として認められ、スペインは奪回の機を失った。
ジブラルタル – Wikipedia
ジブラルタル包囲戦
なかでも最大となるのが、1779年から始まるジブラルタル包囲戦と呼ばれるものだ。闘志満々のスペイン・フランスの連合軍によってわずか6・8平方キロのこの小さな半島は完全包囲された。いつ終わるとも知れぬ砲撃の中で英軍は、陸地にいる敵軍に側面から攻撃を加えられるよう「ザ・ロック」に地下トンネルを掘り、銃眼用の穴と大砲を設置した。
地形を活かした巧妙な計略を巡らせて耐え抜いた英国は、4年近い歳月を経た1783年、ついに包囲を解くことに成功し、スペインのジブラルタル奪還は失敗に終わった。
300年続く領土問題 小さな英領 ジブラルタル「Gibraltar」 – 小さな英領 ジブラルタル
「地中海の鍵」と呼ばれた要衝
突き出した半島であるため、大西洋と地中海をつなぐ交通の要衝として歴史的にも地理的にも重要な場所
地中海の要塞ジブラルタル 1日観光ツアー<コスタ・デル・ソル発> | スペイン 観光・オプショナルツアー予約専門サイトAlan1.net
1805年、トラファルガーの海戦ではイギリス海軍の拠点となった。
ジブラルタル – Wikipedia
ネルソン提督指揮のイギリス艦隊がフランス・スペイン連合艦隊を、ジブラルタル海峡北西のトラファルガー岬沖で撃破した海戦。この結果、イギリスは制海権を掌握し、ナポレオンのイギリス本土上陸作戦は挫折した。
皇国の興廃この一戦にあり、各員一層奮励努力せよ | Z旗(ゼットキ)
国境封鎖、陸の孤島に
1954年、女王エリザベスII世が植民地歴訪の最終訪問地としてジブラルタルを訪問。
スペイン各地で抗議運動が起こる。
1957年、スペインがジブラルタル返還を求めて国連に提訴
イギリスはこれに対し、イギリス統治の可否を問う住民投票を1967年に実施し、住民は 12138 対 44 という圧倒的大差でイギリスへの帰属を選択した。
ジブラルタル – Wikipedia
この投票はスペインの態度を決定的に硬化させ、1969年にスペインは国境を封鎖して物流とスペイン人の通勤を差し止めるという、ジブラルタルに対する経済封鎖に踏み切った。
ジブラルタル – Wikipedia
1981年、チャールズ皇太子と故ダイアナ元妃の新婚旅行の地としてこのジブラルタルが選ばれた。ロイヤル・カップルは住民から温かく迎え入れられ、英国はジブラルタルとの良好な関係を強めるのに成功する。
300年続く領土問題 小さな英領 ジブラルタル「Gibraltar」 – 小さな英領 ジブラルタル
1985年2月、16年の歳月を経て、再びジブラルタル―スペイン間の国境が開かれた。
300年続く領土問題 小さな英領 ジブラルタル「Gibraltar」 – 小さな英領 ジブラルタル
スペインもジブラルタルを領土問題としているが、あまり大きな声で言えない事情がある。
スペインも対岸のアフリカ大陸にセウタという街を持っている。(モロッコが領土返還を主張している)セウタは、元々、ポルトガルの占領地であったが、1580年にスペインがポルトガルを併合したときからスペイン領となっている。こちらは、400年以上の占領(ここまできたら、占領と言えるのかどうか分からない状態だが。)
ココに地果て、海始まる – Yahoo!ブログ
サルが去らねば…?
ところでジブラルタルの岩山にはイギリス人でもスペイン人でもない、はるか昔からの「先住民」がいる。バーバリー猿という北アフリカ原産の猿である。
日本船主協会:海運資料室:海運雑学ゼミナール
いつ、どうして定住したかは不明だが、ヨーロッパ中でこの猿が生息するのは唯一ここだけ。いつしか「猿がいる限りイギリスの統治は続く」という伝説が生まれた。
日本船主協会:海運資料室:海運雑学ゼミナール
flickr Gibraltar Monkey by emerille
第二次大戦中に当時の首相チャーチルが「ジブラルタルの猿を増やせ」と命令したという有名な話も残っており、今もイギリスは縁起を担いで、この猿が減らないように北アフリカから補充し続けているという。
日本船主協会:海運資料室:海運雑学ゼミナール
わざわざ補充しているとは…!
この猿たち、本当に傍若無人で乱暴者。ジブラルタル政府の報告では、去年54人の観光客が猿に襲われてけがをして、病院で手当を受けたそうです。それでも例年の半分の数だというのですから、これまで3日に一回の頻度で観光客がけがをしていたことになります。
恐るべしジブラルタル猿 – ヨーロッパの最南端ジブラルタル 便り – Yahoo!ブログ
「Nulli Expugnabilis Hosti
いかなる敵も我らを退かし得ず」
(Wikipediaより)。平和的解決が望まれます。