KK(桑田・清原)の2期後輩としてPL学園野球部に入部
KKコンビが3年の1985年、立浪は入部。寮では桑田と同部屋となり1年間過ごした。
頭をバックアップ : 桑田真澄×立浪和義対談///スポスタ晴
甲子園春夏連覇のPL学園の主将なんです!
既に中学時代から才能を注目されていた立浪は、多くの高校からの誘いを受ける。そんな中で立浪は、憧れの甲子園に最も近いPL学園へ進学する。
立浪和義
同級生には後にプロでも一流選手として活躍する顔ぶれが揃っていた。投手では野村弘樹と橋本清、野手には片岡篤史がいた。今、思えば、圧倒的な戦力を持っていたわけである。立浪はそんなチームの主将だった
立浪和義
PL学園の同級生たちは一流選手ばかり
夏の甲子園では3番・遊撃手で21打数9安打、2本塁打、8打点の好成績を残し、優勝の一翼を担った。
立浪和義 – Wikipedia
高卒ルーキー開幕スタメン
ヘッドコーチの島野育夫と総合コーチの木俣達彦からも素質を見抜かれ、春季キャンプを一軍でスタートし、2番・遊撃手に抜擢される。前年のベストナイン遊撃手の宇野勝を二塁手にコンバートさせてまでの抜擢であった
立浪和義 – Wikipedia
22盗塁、21犠打を記録し、中日のリーグ優勝に貢献、同年の日本シリーズには全試合先発出場した。守備・走塁技術を高く評価されて新人王を受賞。また、高卒新人としては初のゴールデングラブ賞を受賞した。
立浪和義 – Wikipedia
連続無失策セリーグ新記録を樹立
無失策記録は712回
立浪和義 – Wikipedia
立浪の守備は一級品で、守備コーチが手を付ける必要はない。
立浪和義の例にみる新人育成の極意。澤村拓一や斎藤佑樹をどう指導する?(1/3) – Number Web : ナンバー
伝説の10.8で左肩脱臼
1994年10月8日の巨人戦は、中日が勝てば中日が優勝、巨人が勝てば巨人が優勝という大一番だった
立浪和義
8回裏無死で4打席目が回ってきた。マウンドには巨人のエース桑田真澄が上がっていた。
立浪は、カウント2-1から内角低めの直球を叩きつけ、サードへの高いバウンドのゴロになった。立浪は、懸命に走り、思わず1塁ベース手前でヘッドスライディングをする。この試合に賭ける意気込みから出たプレーだった。しかし、勢いがつきすぎていたため、立浪は、1塁ベースで左肩を強打し、脱臼してしまう。
立浪和義
3つの異なるポジションでゴールデングラブ賞受賞という快挙
立浪2 件は二塁手で3度、遊撃手で1度選出されており、通算5度目のゴールデングラブ2 件となった。
立浪、初の3部門受賞 ゴールデングラブ賞
二塁打の日本記録
5月18日の日本ハムとの試合で、福本豊(元阪急)の持つ2塁打の日本記録、449本に並んでいた中日ドラゴンズの立浪和義選手は、2005年5月19日、札幌ドームでおこなわれた日本ハムとの交流戦第3戦で、3回の表、金村投手から左翼線に2塁打を放ち、2塁打の日本新記録を達成した。
立浪和義 2塁打の日本記録達成
引退年に打率3割以上
2009年、立浪は、引退宣言をして公式戦に臨みながらも、代打の切り札としてシーズン序盤から活躍を見せ、主に代打ながらシーズン打率.318という好成績を残す。4月24日の巨人戦では8回に豊田清投手から第1号同点本塁打をライトスタンドへ放って史上5人目となる22年連続本塁打を達成する。
立浪和義
こうした目覚ましい活躍によって、ファンの間からは背番号3を永久欠番に、との署名活動まで起こり、大きなニュースとなった。
立浪和義
立浪の打撃動画
松坂からのHR
記憶に残るHR
多くの都市伝説!?
いたずら好き、といかほとんど殴ってる清原が
「立浪だけにはイタズラしてない」という
[立浪和義] by 名言 迷言 暴言 格言 奇行 天才 語録 発言 奇人 変人
フジのPL同期会での発言
PLの1年は髪洗っちゃダメルールを撤廃してた
他にも色々と意味の無いルールは変えた
[立浪和義] by 名言 迷言 暴言 格言 奇行 天才 語録 発言 奇人 変人
星野第二次政権の時に大豊連れて監督室に行って
「今回また鉄拳制裁とかしたら報復しますから」
[立浪和義] by 名言 迷言 暴言 格言 奇行 天才 語録 発言 奇人 変人
桑田…かわいい後輩、話してて面白い
清原…どうもアイツには何も言えん、とてもいい奴だとは思う
片岡…戦友 時々怖くて話かけられない時もあった
野村弘…なにもしてなくてもなにか考えてそうな奴だった
橋本清…先輩でも後輩でもなく同級生でよかった
宮本…素晴らしい先輩
福留…素晴らしい先輩
松井稼…素晴らしい先輩
[立浪和義] by 名言 迷言 暴言 格言 奇行 天才 語録 発言 奇人 変人
著作
数々の実績を残してきた立浪和義が、実技形式で打撃の奥義をおしみなくレクチャー。
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ビッグバン打線の3番打者として活躍した。
2001年のオフにFA宣言し権利を行使、阪神タイガースへ移籍。
移籍初年度の2002年は不振に陥ったが、2003年は6番打者としてリーグ優勝に貢献。