歴史好きなら必ず行っておきたい「戦国武将」を神と祀った神社のまとめ

宮間乃祭人
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など、戦国の世を生き、神として祀られた戦国武将、大名を神社名とともにまとめました。

乱世を彩った名将、大大名たちは、神として崇められている。

そんな戦国武将を祀った神社をまとめます。

まずは戦国の三英傑 織田信長/ 豊臣秀吉/ 徳川家康

三英傑(さんえいけつ)は、戦国時代において、
天下を統一へ導いた愛知県出身の3人の戦国武将、
戦国大名を顕彰した呼称。
三英傑 – Wikipedia

◇織田信長 ⇒ 建勲神社

織田信長

織田 信長(おだ のぶなが)は、
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。
三英傑の一人。尾張国(現在の愛知県)の
古渡城主・織田信秀の嫡男。室町幕府を滅ぼし、
畿内を中心に強力な中央政権(織田政権)を確立。
戦国時代の終結に最大の影響を与えた人物の一人である。
織田信長 – Wikipedia

建勲神社(たけいさおじんじゃ)は、京都市北区の船岡山の中腹にある神社である。織田信長を主祭神とし、子の織田信忠を配祀する。旧社格は別格官幣社。正しくは「たけいさおじんじゃ」と読むが、一般には「けんくんじんじゃ」と呼ばれ、「建勲(けんくん)さん」と通称される。旧称健織田社(たけしおりたのやしろ)、建勲社(たけいさおしゃ)。
建勲神社 – Wikipedia

建勲神社

◇豊臣秀吉 ⇒ 豊国神社

豊臣秀吉

豐臣 秀吉(とよとみ ひでよし[3])/ 羽柴 秀吉(はしば ひでよし)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・天下人・関白・太閤。三英傑の一人。墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城など機知に富んだ逸話が伝わり、百姓から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。
豊臣秀吉 – Wikipedia

豊国神社(とよくにじんじゃ)は、京都市東山区に鎮座する神社。神号「豊国大明神」を下賜された豊臣秀吉を祀る。豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となったが、のちに明治天皇の指示により再興された。
主祭神が大名として統治した地である大阪市の大阪城公園(中央区)や滋賀県長浜市、石川県金沢市のほか、出身地の名古屋市中村区にも豊臣秀吉を祀る同名の神社がある
豊国神社 (京都市) – Wikipedia

豊國神社

◇徳川家康 ⇒ 日光東照宮

徳川家康

徳川 家康(とくがわ いえやす) / 松平 元康(まつだいら もとやす)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名[1]。江戸幕府の初代征夷大将軍[1]。三英傑の一人。
徳川家康 – Wikipedia

日光東照宮(にっこうとうしょうぐう)は、日本の関東地方北部、栃木県日光市に所在する神社。江戸幕府初代将軍・徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀る。日本全国の東照宮の総本社的存在である
日光東照宮 – Wikipedia

日光東照宮

その他の戦国武将はアイウエオ順で・・・

◇明智光秀 ⇒ 御霊神社

明智光秀

明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。戦国大名・織田信長の重臣の一人で、日本史の謎の一つとされる本能寺の変を起こした事で有名である。善政を行ったとされ、領国の各地で祀られる。忌日に祭事を伝える地域(光秀公正辰祭・御霊神社 (福知山市))もある。
明智光秀 – Wikipedia

御霊神社(ごりょうじんじゃ)は、京都府福知山市の中心部にある神社。
創祀は1705年(宝永2年)。もともと宇賀御霊大神を祀る神社であったが、福知山城主・朽木氏が明智光秀の合祀を許し、社号もこれに由来する。当地を「福智山」と命名し、福知山城を近世の城に改修し、善政をしいた明智光秀にまつわる数多くの史料を有する。明智光秀関係文書3点(光秀書状2点、明智光秀家中軍法1巻)が福知山市指定文化財となっている[1]。
御霊神社 (福知山市) – Wikipedia

◇浅野長政 浅野幸長⇒ 饒津神社

浅野長政

浅野 長政(あさの ながまさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。豊臣政権の五奉行筆頭。常陸真壁藩主。
浅野長政 – Wikipedia

浅野 幸長(あさの よしなが)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。紀伊国和歌山藩(紀州藩)の初代藩主。浅野氏宗家初代。武勇に優れていた歴戦の勇将であり、その武勇には諸大名も一目置いたといわれる。
浅野幸長 – Wikipedia

饒津神社(にぎつじんじゃ)は、広島県広島市東区にある神社である。旧社格は旧県社。主祭神は、浅野長政、幸長、長晟。相殿神として、長政室の末津姫(やや)。地元では「にぎつさん」と呼ばれている。
饒津神社 – Wikipedia

◇有馬豊氏 ⇒ 篠山神社

有馬豊氏 – Yahoo!検索(人物)

有馬 豊氏(ありま とようじ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将(大名)。丹波福知山藩主、のち筑後久留米藩初代藩主。久留米藩有馬家2代。茶道も嗜む文化人で、利休七哲の一人に数えられることもある。
有馬豊氏 – Wikipedia

本社は筑後旧久留米藩士民が、その旧藩主有馬氏累代の恩徳に対し追慕感謝のあまり、旧城阯に社宇建設せんことを請願し、明治10年7月25日官許を得て、始祖有馬豊氏公並びに頼永公の霊を祀り、同12年7月15日篠山神社と称し県社に列せらる。

◇井伊直政 ⇒ 井伊神社

井伊直政

井伊 直政(いい なおまさ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。井伊氏第24代当主[2]。上野国高崎藩の初代藩主。後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。徳川氏の家臣(家臣になった当時は外様)。自身が組織した井伊の赤備えは戦国屈指の精鋭部隊として特に有名である。徳川氏きっての政治家・外交官としても名高い。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の天下取りを全力で支えた功臣として、現在も顕彰されている。
井伊直政 – Wikipedia

彦根藩12代井伊直亮が創建しました。
井伊家の始祖・共保や初代藩主直政・2代藩主直孝も祀られています。
井伊神社:観光施設(文化財・社寺)|彦根市観光情報サイト 彦根市観光ガイド

◇上杉謙信 ⇒ 上杉神社

上杉謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 長尾 景虎(ながお かげとら)は、戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の武将・戦国大名。後世、越後の虎や越後の龍、軍神と称される。
上杉謙信 – Wikipedia

上杉神社(うえすぎじんじゃ)は、山形県米沢市にある神社。
松が岬公園(米沢城址)に位置し、上杉謙信を祀る。旧社格は別格官幣社。
上杉神社 – Wikipedia

◇大内義隆 ⇒ 築山神社

大内義隆 – Yahoo!検索(人物)

大内 義隆(おおうち よしたか)は、戦国時代の武将、守護大名・戦国大名。周防国の在庁官人・大内氏の第31代当主。義隆は文化的関心が強く、文治主義的な戦国大名として知られている。
大内義隆 – Wikipedia

祭神 大内義隆・配祀二十八人相殿大内氏祖先・徳川家康・市川元教各霊

◇大久保 忠世 ⇒ 大久保神社

大久保忠世 – Yahoo!検索(人物)

大久保 忠世(おおくぼ ただよ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。松平氏(徳川氏)の家臣。三河国額田郡上和田(愛知県岡崎市)の大久保氏の支流である大久保忠員の長男。蟹江七本槍、徳川十六神将の1人に数えられる。
大久保忠世 – Wikipedia

大久保神社は、小田原市城山にある神社です。大久保神社は、大久保忠世を祭神として、明治26年(1893)小田原城天守台跡に創建、城跡が御用邸となったため、明治33年に当地に遷宮したといいます。

◇片倉小十郎 (景綱)⇒ 神明社

片倉小十郎

片倉 景綱(かたくら かげつな)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将である。伊達氏家臣で、伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる。仙台藩片倉氏の初代で、景綱の通称「小十郎」は代々の当主が踏襲して名乗るようになった。
片倉景綱 – Wikipedia

天照大御神を主祭神として外十八柱を奉斎。伊達政宗公(神号 武振彦命)
片倉小十郎景綱公(神号 奇敏鎌刈田彦命)も合祀されております。

◇加藤清正 ⇒ 加藤神社

加藤清正

加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。肥後国熊本藩初代藩主。別名虎之助(とらのすけ)。豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍・七将の一人である。秀吉没後は徳川氏の家臣となり、関ヶ原の戦いの働きによって肥後国一国を与えられ、熊本藩主となった
加藤清正 – Wikipedia

加藤神社(かとうじんじゃ)は、熊本県熊本市の熊本城内にある神社である。正月三が日の参拝者数は年々増加しており、藤崎八旛宮に匹敵する人数となっている。加藤清正公を主祭神とし、祭神に殉じた大木兼能公、韓人(朝鮮人)金官(きんかん)公を配祀する。
加藤神社 – Wikipedia

◇加藤嘉明 ⇒ 水口藤栄神社

加藤嘉明

加藤 嘉明(かとう よしあき)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名。伊予松山藩主、のち陸奥会津藩初代藩主となる。近江水口藩加藤家初代。賤ヶ岳の七本槍・七将の一人
加藤嘉明 – Wikipedia

水口藩主加藤氏の祖、加藤嘉明の祭神に、文政十二年(1829)藩によって創建さ
れ、近世は嘉明(かめい)大明神と呼ばれた

◇金森長近 ⇒ 金龍神社

金森 長近(かなもり ながちか)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。名ははじめ可近(ありちか)、後に織田信長から一字を賜り、長近を名乗った。通称は五郎八。法印素玄。飛騨高山藩初代藩主。
金森長近 – Wikipedia

飛騨東照宮の金龍神社は、高山藩初代藩主であり高山の始祖とされる金森長近(かなもり ながちか、1524年(大永4年)生 – 1608年(慶長13年)没)を祭神として祀っています。

◇九戸政実 ⇒ 九戸神社

九戸政実/年表でみる戦国時代

九戸 政実(くのへ まさざね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。南部氏の家臣。九戸城主。九戸信仲の子。
九戸政実 – Wikipedia

◇黒田官兵衛 ・ 黒田長政 ⇒ 光雲神社

黒田孝高

黒田 孝高(くろだ よしたか)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。孝高は諱で、一般には通称をとった黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)、あるいは出家後の号をとった黒田 如水(くろだ じょすい)として広く知られる。
豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。
竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀であり、
後世「両兵衛」「二兵衛」と並び称された。キリシタン大名でもあった。子に黒田長政がいる。
黒田孝高 – Wikipedia

光雲神社(てるもじんじゃ)は、福岡県福岡市中央区西公園にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。 黒田氏初代黒田孝高(龍光院殿、如水)と、その子で初代福岡藩主・黒田長政(興雲院殿)を祀る。社名は両神の法名から一字ずつとったものである。
光雲神社 – Wikipedia

◇小早川隆景 ⇒ 和賀(小早川)神社

小早川隆景

小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。毛利元就の3男。毛利隆元・吉川元春は同母兄にあたる。毛利両川の1人として、元春と共に毛利氏の発展に尽くした。毛利水軍の指揮官としても活躍している。豊臣政権下では豊臣秀吉の信任を受け、通説では文禄年間に五大老の1人に任じられたとされている。
小早川隆景 – Wikipedia

あまり、お参りのないひっそりした神社のようですが、かの名将(小早川隆景)を祀った神社です。

◇酒井忠次 ⇒ 荘内神社

酒井忠次/年表でみる戦国時代

酒井 忠次(さかい ただつぐ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての三河の武将。徳川氏の家臣。徳川四天王・徳川十六神将ともに筆頭とされ、家康第一の功臣として称えられている。
酒井忠次 – Wikipedia

荘内神社(しょうないじんじゃ)は、山形県鶴岡市にある神社である。鶴岡市のほぼ中心部にある、庄内藩主の居城であった鶴ヶ岡城の本丸址に所在している。庄内一円の人々により明治10年(1877年)旧藩主を追慕して創建された。社殿は、本殿、参集殿、宝物殿の三つに分かれる。本殿には祭神として、酒井忠次公、酒井家次公、酒井忠勝公、酒井忠徳公、が祀られており、主に加持祈祷やお祓いなどが行われる。
酒井忠次 – Wikipedia

◇榊原康政 ⇒ 榊神社

榊原康政

榊原 康政(さかきばら やすまさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。上野国館林藩の初代藩主。徳川氏の家臣。康政流榊原家初代当主。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、現在も家康覇業の功臣として顕彰されている。
新潟県上越市の榊神社は康政を祭神としており、康政着用と伝えられる具足や馬印などが所蔵されている。
榊原康政 – Wikipedia

◇佐竹 義宣 ⇒ 八幡秋田神社

佐竹 義宣(さたけ よしのぶ)は、戦国時代から江戸時代前期の武将・大名。佐竹氏19代当主。出羽久保田藩(秋田藩)の初代藩主。佐竹義重の長男。母は伊達晴宗の娘。伊達政宗は母方の従兄にあたる。
佐竹義宣 (右京大夫) – Wikipedia

御祭神は品陀別命、息長帯姫命、比賣神、佐竹義宣朝臣、佐竹義和朝臣、佐竹義尭朝臣、相殿に倉稲魂命、猿田彦命、大宮賣命、武甕槌命、倉稲魂神です。

◇真田昌幸 ・ 真田信繁(幸村) ⇒ 真田神社

真田信繁(幸村)

真田 信繁(さなだ のぶしげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。真田昌幸の次男。江戸時代初期の大坂の陣で活躍し、特に大坂夏の陣では、寡兵3500を持って徳川家康の本陣まで攻め込み家康を追いつめた。大坂の陣を契機に、この合戦に参陣・参戦した将兵による記録・証言が基となって、江戸幕府・諸大名家の各種史料にその戦将振りが記録された。さらにはその史実を基に講談や小説などに翻案、創作されるなどして、ついには真田十勇士を従え宿敵・徳川家康に果敢に挑む英雄的武将・真田幸村(さなだ ゆきむら)として扱われ、国民の間に流布するに至った。そのため幕府・諸大名のみならず広く一般庶民にも知られる存在となった人物である。
真田信繁 – Wikipedia

真田神社は上田城本丸に鎮座する神社です。案内板によると「 当社は戦国時代の天正11年(1583)上田にこの平城を築き城下町を造った真田父子を主神とし、江戸時代に民政を尽くした仙石・松平の歴代藩主を祭神とする神社であります。殊に10数倍の大軍を2回に渡り撃退して日本一の知将と謳われた真田幸村の神霊は、今も智恵の神様として崇められています。
真田神社(上田城)

◇柴田勝家 ⇒ 柴田神社

柴田 勝家(しばた かついえ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。武骨の性格で、その秀でた武勇から鬼柴田と呼ばれ、江戸中期の随筆『翁草』の小唄の1節に秀吉らとともに、勝家は戦場における突進力では随一という意味でかかれ柴田と評されている
柴田勝家 – Wikipedia

柴田神社(しばたじんじゃ)は、福井県福井市にある神社である。戦国時代の武将・柴田勝家を主祭神とし、妻の市を配祀する。境内には、市の三人の娘を祀る三姉妹神社がある。
柴田神社 – Wikipedia

◇島津義弘 ⇒ 精矛神社/徳重神社

島津義弘

島津 義弘(しまづ よしひろ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。九州南部の大名。祖父・島津忠良から「雄武英略をもって他に傑出する」と評されるほどの猛将だった。
島津義弘 – Wikipedia

精矛神社(くわしほこじんじゃ)は鹿児島県姶良市加治木町日木山に鎮座する神社。旧社格は県社。精矛厳健雄命(くわしほこいずたけをのみこと)(島津義弘公)を祀る。
精矛神社 – Wikipedia

徳重神社(とくしげじんじゃ)は鹿児島県日置市伊集院町徳重にある神社。現在は「とくしげじんじゃ」と読み慣わしているが、本来の読み方は「さきへじんじゃ」であった。精矛厳健雄命(くわしほこいずたけをのみこと)(島津義弘公)を祀り[2]、祭神の出家姿の木像を神体とする。
徳重神社 – Wikipedia

◇仙石秀久 ⇒ 出石稲荷神社

仙石秀久

仙石 秀久(せんごく ひでひさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。信濃小諸藩の初代藩主。出石藩仙石家初代。豊臣秀吉の最古参の家臣で、家臣団では最も早く大名に出世した。
仙石秀久 – Wikipedia

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