フリーキックの魔術師・伝説の背番号10・ミスターマリノス・国産プロ1号。サッカーを愛しサッカーに愛された選手がいた。
「東京・千駄ヶ谷の国立競技場の曇り空の向こうに、メキシコの青い空が近づいているような気がします」
今から30年近く前、1985年メキシコWカップ最終予選日本対韓国の一戦で
「伝説のフリーキック」を蹴った選手がいたことをご存知だろうか。
フリーキックの魔術師・伝説の背番号10 木村和司選手
2点ビハインドを背負った前半43分、木村はフリーキックを得た。7人の選手が強固な壁をつくっていた。距離は20数メートルあったが、蹴った瞬間、「これは入った」と確信した。人の壁を越えたボールは、ゴール左上隅に猛スピードで突き刺さった。
SPORTS COMMUNICATIONS – ベテランの気概 木村和司
この「伝説のフリーキック」は何がすごかったかといえば、実況にあったように「曲がって」「落ちた」こと。
韓国VS日本 そして、『メキシコの青い空』 : Doors , In & Out ! by Sam-Camp
絶対入れて下さいっていう気持ちで祈ってました後ろからー戸塚哲也
和司のことだから、こういうゲームでは決めるだろうー松木安太郎
雰囲気的に、あ、これはいくんじゃないかって、ありましたけどねー加藤久
解説の松本育夫氏は蹴った瞬間、
「やった!」
とつぶやく。
木村和司、伝説のフリーキック炸裂! – 水平線の先にある夢 – Yahoo!ブログ
そしてこれ以上ないほどに見事な放物線をかいて
ボールはゴールに吸い込まれる。
もう、糸を引くように、ゴールに吸い込まれていったー加藤久
鳥肌が。よく決めるなあってー都並敏史
狙いはもう、あそこだったねー木村和司
国立で見てくれるみんなの気持ちが入ってさ、あそこしかないってとこに入ったねー木村和司
まあ、2度とできないけどねー木村和司
嬉しかったねー木村和司
▼これこそが伝説のフリーキック▼
しかし結果は2-1で韓国に敗れる。
その後1993年Jリーグ発足時には選手として全盛期を過ぎた35歳。翌年には引退を表明。
引退会見で「もっとサッカーが上手くなりたい」と語った木村和司氏
彼は今もサッカーを愛し
サッカーに愛されている
https://matome.naver.jp/odai/2137457971426171001
2013年07月26日