少年ライフル魔事件とは
少年ライフル魔事件とは、1965年(昭和40年)7月29日に発生した、18歳の少年によるライフル乱射事件
少年ライフル魔事件 – Wikipedia
事件の概要
少年は神奈川県高座郡座間町の山林で空気銃でスズメを撃っていた。そこへ通りかかった警察官が少年を訊問したところ、少年はこの警察官をライフル銃で銃撃し殺害した。さらに、応援に来たもう1人の警察官にも怪我を負わせた
少年ライフル魔事件 – Wikipedia
公衆電話から「林で子供が空気銃を撃って遊んでいる。危いからやめさせてもらいたい」と自分で110番に通報、警官をおびき寄せた。
少年は通りかかった車に乗り込み、運転手をだます、奪ったピストルを使って脅すなどしつつ乗用車4台を乗り継いで逃走
少年ライフル魔事件 – Wikipedia
現場近くの民家を警官を装って訪れ、「今このあたりで撃ち合いがあって、犯人に逃げられたから車を出してもらいたい」と、男性を騙した。
警視庁はパトカーや白バイ198台、ヘリコプター2機、機動隊員など700人を動員した緊急配備をしき、神奈川県警もパトカー225台、警官2200人を動員、大捜査線が張られた
少年犯罪データベース 少年ライフル魔事件
午後6時過ぎに東京都渋谷区の銃砲店に到着。この銃砲店から武器弾薬を強奪し、従業員3人を人質にとって立てこもった
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少年は警察隊および通行人に向けて合計110発のライフル弾を発射。警察官、通行人、報道記者等16人を負傷させた
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警察隊は催涙弾で応戦、少年が催涙弾に耐えかねて、2人の女性を盾に路上に出たところを、警察官が隙を見て体当たり、ライフルを取り落とした所を取り押さえて逮捕した
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少年の人物像
少年は小学生のころから銃に興味を持つようになり、5年生のときには傘の柄を改造して手製ピストルを造って花火の火薬でビー玉を飛ばして遊んでいた
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父親も戦時中は陸軍上等兵であり、息子の銃の趣味に無理解ではなかった
少年ライフル魔事件
息子に「10万円くらいの銃ならいつでも買ってやる。しかし、間違っても銃で人を殺すな。そんなことがあったら殺すよりまず自分が死ね」と言い聞かせていたという。
中1で大藪春彦の小説『ウィンチェスターM70』を読んで熱狂、中2で精巧なモデルガンを買ってもらい、中3のときには銃を撃つため親に無断で少年自衛隊員になろうとしたが試験に落ちている
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中卒で自動車修理工になるとまだ16歳で所持資格がないのに姉の名義でライフル銃を買ってもらい、手製の消音装置をつけて室内や山林で射撃を楽しんでいた
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現在の日本ではこのように簡単に銃を入手することはできない。
銃を撃ちまくるためにアマゾン移住計画を立て、船員になって金を稼ぎ、犯行の年の4月に18歳になったのでライフル銃の名義を自分に書き換え、稼いだ金でSKB水平三連銃も買っていた
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やがて、ピストルが欲しくなり、どうせなら交番でこっそり盗むするよりも大きいあっと云わせるようなことをやろうと計画を練った
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裁判
1967年4月、横浜地裁で無期懲役判決
少年ライフル魔事件
1968年11月、東京高裁は「人格のひずみによる残虐さは強制出来ない」と一審判決を破棄、死刑を言い渡す
少年ライフル魔事件
一、二審とも少年は公判で「銃への魅力は今尚つきない。将来、社会へ出て、再びこのように多くの人に迷惑をかけることのないような刑、死刑にして欲しい」と主張
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1969年、最高裁は二審を支持し、死刑が確定。1972年7月22日、死刑執行
少年ライフル魔事件
享年25歳だった。
石原慎太郎との関連
現衆議院議員(元東京都知事)の石原慎太郎はこの事件、そしてこの少年に非常に興味を持ったようで・・・
当時32歳の石原慎太郎は銃撃戦が始まっていると聞いてわざわざ渋谷まで見物に出かけ、目の前でやじうまが撃たれるのを目撃している
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死刑が確定したのちに、ふたりの法務大臣を二度訪れて、少年の死刑を取り消して減刑恩赦を出すように嘆願した
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大衆の社会への嫌悪を代行した純粋犯罪であると、石原慎太郎はそこに聖性を見出して評価している
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