助けて
残業が長引き、帰宅する頃には深夜になっていた。
幸か不幸か、会社は自宅からわりと近く、歩いて通えるため、終電を気にする必要はなかった。
深夜の街は、家の明かりもほとんどが消えていて、街灯が心細く灯っているのみだった。
私は足を速めた。
「けて」
何か聞こえたような気がした。
「すけて」
誰かの声だろうか。
足を止めて、耳に神経を集中した。
「助けて」
助けて・・・?
ここから少し距離があるらしく、男か女かは良くわからなかった。
通報するか?
いや、何かの聞き違いかもしれない。
無視して家に帰ることにした。
歩き出して少し経った頃。
「けて」
また、聞こえる・・・?
「すけて」
おかしい、さっきの場所からは離れる方向に歩いているはずだ。
聞こえる・・・はずが・・・ない!
辺りを見わしても変わったものは何もない。
私は走り出した。
走っても走っても、遠ざかるどころか声がどんどん近づいてくる。
もう、息が上がって走れない。
「助けて・・・の?」
助けて・・・じゃない?
「助けて・・・ないの?」
「なんで助けてくれないの?」
最後の言葉は耳元ではっきりと聞こえた。
その瞬間、私は意識を失った。
どのくらい意識を失っていたんだろう?
辺りは相変わらず暗かった。
何か変だ。
街灯や電信柱が歪んで見える。
色もおかしい。
街灯の光も、くすんだ色に見える。
まるで、出来の悪い抽象画のように。
「助けて!」
思わず叫んでしまった。
だが、なんの反応もない。
相変わらず、世界は歪んだままだ。
しばらく茫然と佇んでいると、遠くの街灯に人影が見えた。
驚いたことに、その人影の近くだけ歪みがなく、色も正常だった。
あの人の近くに行けば助かるかもしれない。
私は、助けてと叫びながら走った。
私の声に気付いたのか、辺りを見回している。
しかし、私の反対方向に歩きだしてしまった。
息が上がってもう走れない。
声に気付いているはずなのに、なぜ助けてくれないのか。
現状、あの人に助けてもらう以外に助かる方法が思いつかない。
何としても、あの人に追いつかなければならない。
息を整え、走り出した。
あと少しで追いつく。
なぜか、あの人まで走り出した。
私は必死に走った。
ここで逃げられたら、この世界に取り残される気がした。
あの人のすぐ後ろまで近づいた。
私は息が上がっていたが、声を絞り出すようにして話しかけた。
「なんで助けてくれないの?」
私は再び、意識を失った。
意識を取り戻すと、家の前にいた。
辺りは白んでいた。
一体なんだったのか。
疑問には思うが、もう思い出したくもないので追及しないことにした。
それ以降、私は、深夜の残業の際は、タクシーで帰るようにしています。
カレーライス
私の家族は、父、姉、私の3人です。
母は私が中学生の時に病気で亡くなりました。
当時は、家族みんな悲しみで一杯でした。
母が亡くなってから一か月くらい経った頃でしょうか、夕飯にカレーライスを食べました。
とても美味しく、母の料理の味と同じでした。
「こんなものを見つけたんだ」
と言って父は数冊のノートを取り出しました。
そのノートには料理の作り方や家事の仕方が書いてありました。
「母さんは家事の仕方を書いて残してくれた。
みんながちゃんと生活していけるようにと。
いつまでもクヨクヨしているのは母さんの遺志を無駄にすることになる」
誰が言い出したわけでもなく、母の月命日には、我が家ではカレーを食べることになりました。
カレーと言っても、母のノートによると、市販のカレー粉は使わず、小麦粉を炒る所から作る、割と本格的なものでした。
これは、私の腕では無理だと思いました。
父も姉も料理は苦手でしたが、カレーだけは頑張って母のカレーの味にしていました。
母が亡くなってからは、料理を含めて、家事は持ち回りでしていました。
持ち回りとは言っても、空気を読んで、みんなで折り合いをつけて家事をしていました。
そんな長らく続いた恒例のカレーの日も、姉が大学に行くため、家を出た頃からなくなりました。
あのカレーは姉が作っていたのだと、その時気づきました。
夏休みに入り、姉が帰ってくることになり、母の月命日ということもあり、カレーにしようという話になりました。
私は、材料を揃え、姉が帰ってくるのを待ちました。
姉が返ってきたので、久しぶりにカレーを作って欲しいと頼みました。
姉は少し戸惑った表情をしましたが、快く作ってくれることになりました。
材料はあると伝えたのですが、なぜか姉は買い物に行きました。
しばらくして、夕食の時間となりました。
私はカレーを一口食べました。
味が全然違う・・・。
私は不思議に思って、父の顔を見ると、父も不思議そうな顔をしました。
「市販のカレー粉を使ったのか?」
と父が姉に聞くと
「私、カレー粉使わないと作れないもの。文句を言うなら父さんが作ればよかったじゃない」
と姉が言いました。
「俺もカレー粉がないと無理だ。じゃあ、お前が作ってたのか?」
と父が私を見ました。
もちろん私が作れるはずがありません。
では、あのカレーを作っていたのは誰だったのでしょうか。
もしかしたら、みんな記憶違いをしているのかもしれません。
今は、私もカレーを小麦粉を炒るところから作れるようになりました。
影法師
ある日、俺は叔父に電話で呼び出された。
俺は叔父と仲が良かったので、特に疑問も持たず、叔父の家に行った。
叔父は健康な人という印象だったんだが、急に老け込んだ様に見えた。
用件は俺に、食料品等の買い物をしてきて欲しいと言うことだ。
叔父は用事があって、家を出られないそうだ。
そうして度々、代わりに買い物に行くようになった。
叔父は、会うたびに老け込み、影が薄くなっているように見えた。
病院に行った方がいいと何回も言ったが、病院に言った形跡はなかった。
ある日、いつも通り叔父の家に行った時、叔父が倒れていた。
慌てて救急車を呼び、病院に運んだが、間もなく亡くなった。
叔父はまだ40代だったのに、死に顔はまるで老人のようだった。
俺は、叔父の家に遺品の整理に行くことになった。
机の上には、目立つように日記が置かれていた。
日記にはこう書いてあった。
「
何か月か前から繰り返し悪夢を見るようになった。
それも毎回同じような内容だ。
自らの影に食われる。
牙だらけの大きな口が影から現れて、足に食らいついてきた。
バリッボリッ
骨が砕ける嫌な音がした。
夢なので痛みではないのだろうが、感電したようなビリビリとした感じた。
思わず飛び起きる。
慌てて足を見るが異常はない。
その時は嫌な夢だなと思ったが、それ以上気にしなかった。
それから何日かして同じような夢を見た。
内容は同じだが、心なしか食われる部分が前より上に来ている気がする。
やはり体に異常はない。
流石に2回も同じ夢を見ると気持ち悪かったが、どうすることもできないので忘れることにした。
ところが、また同じ夢を見た。
確実に上に上にあがってきている。
これは何か良くない事が起きていると思い、似たような現象がないか情報を漁った。
ある妖怪の記述を見つけた。
この土地には影の妖怪の伝承があるという。
”それは人の影に取り憑く。
取り憑いた人間から生命力を吸い取る。
吸い取られた人間は徐々に弱っていき、仕舞いには死に至る。
それは影から影に移る。
取りつかれたものが誰かの影を踏むと、それは踏まれた方に移る
取り憑かれた人間が死んだら影は踏めないので、今度は踏んだ人間に移る
”
確かにここ最近、すごくダルい。
間違いないと思った。
この伝説によると、助かるには誰かに奴を移すしかないようだ。
・・・やるしかない。
対象は近所の皆から嫌われているBという男。
毎日夜中に大音量で音楽を流して問題を起こしていた。
散歩をしていたBの影を踏むのは簡単だった。
Bに移してから、日に日に私の体調は回復していった。
それに引き換え、Bは見るからに調子が悪く、騒音も出さなくなっていた。
Bはどんどんと衰弱していった。
このままだとBは死んでしまうのではないか。
自分が助かれば、他人は死んでもいいのか・・・?
私は散々悩んだが、奴を再び自分に戻すことにした。
私はBに理由を話して、私の影を踏ませた。
移したのは自分であることも説明したが、なぜか感謝された。
私は助かる方法を探すことにした。
「影縫い」という儀式で奴を人形に封じ込める方法があるという。
しかし、詳しい方法の記載はなく断念せざるを得なかった。
特定の人間で永遠に移し続ける方法も考えた。
だが、それではダメだ。
奴は前より生命力を吸い取る力が強くなっている。
おそらく、移る度に生命力を吸う量が増えるのではないだろうか。
そして奴は誰か死人が出るまで、生命力を吸い続けるのだ。
更に探した結果、実際に行われた対処方法については記述を発見した。
それは、封印の呪符を飲み、奴を自らに封じ込めること。
死後、火葬すれば道連れにできる。
この日記を読んだ者は注意して欲しい。
死後も私の影を踏まないこと。
呪符の効果があれば、問題ないはずだが、念のために。
そして、奴がまた現れた時のために、影縫いの方法を見つけ出して広めて欲しい。
」
俺は影縫いの方法を探しているけど、まだ見つかっていない。
人が多い所に行くと、影が踏まれるんじゃないかと少し怖くなる。
目
俺が片目を失ったのは病気でも事故でもない。
俺は大学の時にアパートで独り暮らしをしていた。
特に変わった所もない、ボロいアパートの2階の角部屋だった。
ぼんやりと部屋を見ていた時だった。
壁に小さな穴が空いていることに気が付いた。
なんだろう、と思って穴を覗いてみた。
暗くてよく見えないけど、何かがあることだけはわかった。
俺はボールペンを、勢いよく穴に突っ込んだ。
ぎゃあああああああ!
壁の向こうから凄まじい叫び声がした。
俺は慌てて壁から離れた。
その拍子にペンは向こう側に落ちた。
手には赤い液体がべったり着いていた。
俺は人に刺してしまったと思ったけど、すぐに思い直した。
そんなわけはないんだ。
俺の部屋は角部屋でその方向には部屋はない。
当然、誰も俺に文句を言ってくる者はいなかった。
穴も消えていたし、次第に忘れていった。
夏休みにホテルの泊まり込みのバイトをすることにした。
一通り仕事の説明を受けて、仕事は明日からと言われたので、指定された従業員用の部屋で休むことにした。
部屋に入り、ぼんやりとしていると、奇妙なものが見えた。
壁に穴が開いている。
どうしようか迷ったが、結局、覗くことにした。
ボロい部屋が見える。
あれ?この部屋、どこかで・・・。
角度を変えようとした瞬間、右目に激痛が走った。
ぎゃあああああああ!
病院に運ばれ、緊急手術をしたが状態はよほど酷かったらしく、右目は摘出された。
手術後に警察に事情を話したけど、警察は取り合わなかった。
錯乱して自分でペンを目に刺したってことにされた。
決め手は部屋に落ちていたペンだ。
俺の指紋しかついてなく、大学の記念ボールペンということからも、俺のペンと断定された。
文字通り、俺は自分で自分の目を刺したってことさ。