本当にあった「決闘裁判」とは
要するに、決闘裁判っていうのは、被告と原告が決闘して、勝った方が正しいという裁判のことであります。
【書評・感想】2001年11月(やまなか)
10世紀から12世紀にかけては、決闘裁判が盛んに行われた。当時の判事はあらゆる訴えに対して決闘裁判を認めた。
叛骨の焔
犯罪を犯した者が明らかであるにもかかわらず、証拠が十分でないために相手が無罪になったとき、あるいはなると考えられるときに、被害者が決闘を申し込んだ。
決闘 – Wikipedia
なぜ、決闘で有罪を決める…?
中世ヨーロッパ、そのころは、裁判とは神判だった。
神の裁きである。
決闘裁判
「神は正しい物に勝利を与える」と言う考えがあった
決闘について | 歴史のQ&A【OKWave】
勝者は無罪、敗者は処刑
民事事件では敗者は負傷していると、追放刑か重い罰金刑が科された。刑事事件では敗者は首吊りか火あぶりに処せられた。もちろん決闘であるので、敗者は刑を受ける前に死ぬ事も多い。
叛骨の焔
女性にはハンデがつけられるなど「意外と平等」
男と女の場合には、肉体的条件が違うのだから、差をつけて戦わせ、実質的な戦いがいずれの勝利に終わるかわからない、というかたちにしている
中世の世相の断面(補論)
11世紀末から12世紀のデンマークの決闘裁判では、女は石をつけた紐を、男は棍棒を用い、男は下半身が隠れる穴の中に入れられた。男が撃ち損なって棍棒で地面を3回叩いたとき、女が勝者となった。
決闘 – Wikipedia
「モンタルジスの忠犬」と呼ばれる有名な伝説も
1371年、モンディディエ領主オーブリ・ド・モンディディエが殺されたが、犯人が分からなかった。このとき、モンディディエの飼い犬ヴェルボーがリシャール・マケールに対して非常に強く吠えつづけた。
http://ja.wharugo.com/%E6%B1%BA%E9%97%98–%E4%BC%9D%E8%AA%AC
国王シャルル5世は、犬が殺人を目撃したが自らそれを証明できないために決闘を申し込んだと判断、犬とマケールに対し決闘を命じた。
http://ja.wharugo.com/%E6%B1%BA%E9%97%98–%E4%BC%9D%E8%AA%AC
ど、どんな判断…
マケールには棍棒が、犬には底を抜いた樽が与えられました。この中に避難できるようにとの配慮でした。
憂愁書架: 2010年7月
決闘は長く続き、ついにマケールは負けて罪を認め、絞首台に上ります。
憂愁書架: 2010年7月
あくまで、伝説の域を出ないそうですが、決闘裁判が不思議なものだったということがよくわかります。
決闘裁判は人々が自力で紛争を解決する手段だった
ヨーロッパでは自力救済の精神が強固で根深かった
決闘裁判
決闘裁判は愚かなことであったが、王にも神にも頼らず、当事者の自力により紛争を解決する、賢い思想として後世に引き継がれていったのである。
古代の裁判
決闘裁判は近代にいたる過程で廃止されていった
文明の進歩と共に、決闘裁判に対する批判がなされてきた。
古代の裁判
都市の市民は決闘裁判を嫌い、宣誓裁判と陪審裁判を求め、これが近代裁判へと発展していく。
古代の裁判
これ、むしろ男性が勝つ方が難しい気も…