【知らなかった。。】淡路島が徳島県ではなく兵庫県になった意外な理由

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淡路島が徳島県ではなく兵庫県になった意外な理由まとめです。

淡路島とは。。

淡路島
兵庫県に属し、本州と四国の間、
瀬戸内海東部に位置する島。
淡路市・洲本市・南あわじ市の3市からなる。

淡路島はなぜ徳島県ではなく兵庫県なの?

その理由には、あまり知られていない意外な事件が関係していました。

それは明治維新の時に庚午事変(稲田騒動)という事件があったからです。
淡路島はなぜ徳島県ではなく兵庫県なのか? – Yahoo!知恵袋

庚午事変(稲田騒動)とは。。

庚午事変 – おとうさんのブログ – Yahoo!ブログ
庚午事変の志士たち。

庚午事変(こうごじへん)は、1870年に当時の徳島藩淡路洲本城下で洲本在住の蜂須賀家臣の武士が、筆頭家老稲田邦植の別邸や学問所などを襲った事件。稲田騒動(いなだそうどう)とも呼ばれる。
庚午事変 – Wikipedia

明治維新後、徳島藩の禄制改革により徳島本藩の家臣は士族とされたが、陪臣(徳島本藩の家臣)である稲田氏の家臣は卒族とされた事に稲田氏の家臣は納得できず、自分達の士族編入を徳島本藩に訴えかけた。
庚午事変 – Wikipedia

卒族(そつぞく)とは、明治時代初期の武家社会の末端にあった人々の身分呼称。
つまり、稲田氏側は自分たちに対するぞんざいな扱いに不満をもっていたようです。

この軋轢がやがて悲劇を生む。。

士族と認められない稲田氏側は徳島藩からの独立を画策します。

稲田 邦植(いなだ くにたね)
徳島藩の筆頭家老、かつ淡路島の洲本城主。
稲田家16代当主。

洲本を中心に淡路を徳島本藩から分藩独立させて稲田氏を藩主とする稲田藩(洲本藩)の設立を目指す(そうすれば自分達は士族になる)ようになり、明治新政府にも独立を働きかけていくようになる。
庚午事変 – Wikipedia

これに対し,徳島藩の若い士族達は,稲田側の運動は藩知事に対する忘恩の所業だと怒り,稲田家屋敷のある淡路島の洲本などを襲撃
庚午事変 – おとうさんのブログ – Yahoo!ブログ

これによる稲田側の被害は自決2人、即死15人、重傷6人、軽傷14人。他に投獄監禁された者は300人余り。焼き払われた屋敷25棟。
庚午事変 – Wikipedia

稲田氏側はなす術もなく、一方的な被害を受けたようです。
壮絶ですね。。。

結果的に明治政府は,徳島藩側の首謀者に切腹を,稲田側には北海道静内への移転を申しつけるとともに,淡路島を兵庫県に編入した。
庚午事変 – おとうさんのブログ – Yahoo!ブログ

もし、徳島藩が稲田氏側の士族編入要求を受け入れていれば、
現在の淡路島は徳島県に属していたのかもしれません。。。

以上、「淡路島が徳島県ではなく兵庫県になった意外な理由」まとめでした。

参考リンク

https://matome.naver.jp/odai/2136481992451752501
2013年04月02日