デカすぎて反則! 超長身プロレスラー列伝

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プロレスラーの強さの象徴、それは「身体のデカさ」。その中でも、比類なき巨体でファンを大いに沸かせた大巨人たちをご存じだろうか。

アンドレ・ザ・ジャイアント 223cm・236kg

アンドレ・ザ・ジャイアント

1964年18歳の時にパリでアンドレ “ザ・ブッチャー” ルシモフとしてデビュー。WWF、国際プロレス、新日本プロレスなどで活躍。1981年9月23日、新日本の田園コロシアム大会で行われたスタン・ハンセンとの一騎打ちは今もって日本プロレス史上最高の外国人名勝負と言われる。圧倒的な体格もさることながら、アームロック等のレスリングテクニックでも観客を惹きつけることができる、数少ない巨人レスラーだった。

1993年1月27日、急性心不全のためにパリのホテルの自室で死去。

アンドレ・ザ・ジャイアント
アンドレ・ザ・ジャイアント

エル・ヒガンテ 231cm・197kg

エル・ヒガンテ

アンドレを超える「超巨人」、南アメリカ出身であることから「動くアンデス」。アルゼンチン歴代最高身長のバスケ選手として、1988年NBAドラフトでアトランタ・ホークスに指名される。ホークスと同じくテッド・ターナーが所有していたWCWのジム・ハード副社長およびジム・ロスのスカウトにより、プロレスラーに転向。ヒロ・マツダのもとでトレーニングを積み、スペイン語で「ザ・ジャイアント」を意味するエル・ヒガンテをリングネームに、WCW、新日本プロレス、WWFなどで活躍。引退後は糖尿病との闘病を続け、車椅子での生活を送っていた。

2010年9月22日、サン・マルティンの病院にて死去。44歳没。

エル・ヒガンテ
エル・ヒガンテ

ザ・グレート・カリ 216cm・157kg

ザ・グレート・カリ
プロレスを始める前は、ボディビルダーとして活躍。2001年8月12日の新日本プロレス両国国技館大会で、蝶野正洋がTEAM 2000の新メンバーとして紹介。ジャイアント・シンと名乗り、同じく身長2mを超えるジャイアント・シルバとタッグを組んだ。その後、WWEに入団するとザ・グレート・カリとして活躍。巨漢ながらダンスも踊れる、キスもできるベビー肌のレスラーとして、現在に至る。
ザ・グレート・カリ

ジャイアント・シルバ 219cm・180kg

ジャイアント・シルバ
ソウルオリンピックとバルセロナオリンピックのバスケットボールブラジル代表。その後WWFでプロレスラーに転向、1998年にデビュー。クルガンやゴルガとの怪物ユニット「ヒューマン・オディティーズ」の一員となり、当初はヒール、後にベビーフェイスとしてカイエンタイなどと抗争した。CMLL、新日本プロレスにも参戦。同じく巨人レスラーのジャイアント・シンとのタッグチームは「クラブ・セブン」と名付けられた(共に身長が7フィート以上のため)。2003年からPRIDEで活躍。K-1 Dynamite!!では曙(身長203cm)と対戦。ハッスルにも高田モンスター軍の一員として参戦していた。
ジャイアント・シルバ
前述のジャイアント・シン(ザ・グレート・カリ)と蝶野正洋(身長186cm)に見いだされ、タッグを組んだジャイアント・シルバ

ビッグ・ショー 213cm・220kg

ビッグ・ショー
大学まではバスケットボールの選手として活躍。ハルク・ホーガンにスカウトされ、1995年にWCWでデビュー。WCWでの公式デビュー戦(10月29日)でいきなりホーガンからWCW王座を奪取する快挙を見せた。WCW時代のリングネームはザ・ジャイアントで、アンドレ・ザ・ジャイアントの息子と称していた。1999年から”ザ・ビッグ・ショー” と名乗りWWEに移籍。以降、世界最大のアスリートとして屈指の人気選手となっている。
ビッグ・ショー
ビッグ・ショーはNBAのスーパースター選手シャキール・オニール(身長216cm)とも対峙した。

ジャイアント馬場 209cm・135kg

ジャイアント馬場
https://matome.naver.jp/odai/2136444039942504101
2013年08月21日