小学校6年生の頃から日本語を勉強し、その後バージニア州、アシュランド(Ashland)にあるランドルフ・メイコン(Randolph Macon)大学へ進学したテイラーは、日本を紹介する本を読んだり写真展を訪れたりし、時には姉の大学寮へ日本料理を勉強しに行く企画を立てたりしてアジア研究を専攻する数少ない生徒として大学生活を送っていた。
そして、2008年に大学を卒業すると同時に子供達の英語教育に携わる為に日本へと向かった
地震の後、子供達が家族を探すのを手伝っていたテイラー・アンダーソンを襲った津波 – OK!JAPAN ニュース情報
地震発生当時、おびえる生徒たちを校庭まで避難させ、「大丈夫だよ」と声をかけながら励まし続けた。そしてテイラーさんは、保護者たちが迎えに来るまで生徒たちの傍を離れなかったという。しかし彼女はその後自宅に帰る途中、津波に襲われ、帰らぬ人となってしまった。
世界の一人でも多くの人に届けたい! 地震に苦しむ日本を助けてくれた世界に贈る「ありがとう」ビデオ | ロケットニュース24
娘さんが亡くなった後のご両親の支援
アンダーソン夫妻は娘の母校セント・キャサリン高校と協力して「テーラー・アンダーソン追悼基金」という募金を始めた。これまでに9万ドルほどが集まった。基金は故人の遺志を体してすべて石巻市の小中学校の復旧に充てる。同基金のサイトは以下だという。
Sankei Shimbun article about Taylor Anderson | JETwit.com
※2016年2月現在 こちらで活動されているようです。→ テイラー・アンダーソン記念基金 http://tamf.jp/
※2012年5月時点
同基金サイトはこちら→http://www.st.catherines.org/tayloranderson?rc=0
彼女の遺志を継ぎ、ご家族が「テイラー文庫」を設立し、テイラーさんが勤務した石巻市内の7つの小中学校などに図書が寄贈されました。
テイラー文庫翻訳プロジェクト – ブログ Watching! MIA
テイラーは石巻、そして日本が大好きでしたから、もし震災から生き延びていたらどういう行動を取っているかを考えました。きっと、苦しい状況にある地域の皆さんのために一生懸命頑張っているだろうと思い、私たち家族も同じく、少しでも力になれるようにできることをしたいと思ったのです。
悲しみのその先に ~テイラー・アンダーソンさんのご遺族が来日~ オフィシャル・ブログ | ピースボート災害ボランティアセンター
そして、震災から2年 彼女のドキュメンタリー映画ができたそうです
映画を制作したレジさんは震災を受け、「お世話になった日本のために何かがしたい」と思い、テイラーさんを題材に映画を撮ることを思い立った。レジさんは「テイラーさんは子供の頃からの夢だった日本行きをかなえ、米国との懸け橋になろうと全力で生き抜いた。夢に生きた彼女の生涯は、日米双方の人々の心に訴えかけると思った」と語る。
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レジさんは約1年かけて、両親をはじめ、テイラーさんにゆかりのある日米の30人近くにインタビューした。テイラーさんの誕生から、日本に興味を持ち、英語指導助手として働き、震災に遭うまでの生涯を、インタビューを中心につづっている。
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映画は昨年11月に完成し、米バージニア州にあるテイラーさんの母校で、上映会が行われた。震災2年を前にした3月4日から10日までの間に、東京都内、仙台市、石巻市などでの上映も計画している。映画の上映日や場所など、映画に関する情報は、以下のウェブサイトで確認できる。
http://www.thetaylorandersonstory.com/
レジさんは「日本でもできるだけ多くの人に見て欲しい」と語っており、上映を希望する学校や団体の問い合わせを、次のメールアドレスで、日本語、英語の両方で受け付けている。
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※メールアドレスは意図的に抜いてます
生徒から生徒へのバトン
テイラーさんが最後に教えていた万石浦小学校では先月末から、テイラー文庫を生かす新たな取り組みも始まった。ボランティアが英語と日本語の両方で、子どもたちに読み聞かせる。ボランティアの佐々木恭子さんは英会話教室でテイラーさんに学んだ一人。「いつまでも、彼女が石巻にいたことを覚えていてもらい、いつか世界とつながるような人になっていって欲しい」と子どもたちに期待をかける。震災から1年。石巻で育まれたテイラーさんの思いは、人々の絆となって、広がり続けている。
NHK 海外ネットワーク|これまでの放送|2012年3月10日
その他の関連情報
お父様の手記など…テイラーさんを探しに来る時の様子が詳細に書かれています