起源は東南アジア!?日本人なら知っておきたい! 寿司の歴史

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日本を代表する料理、寿司。いつからあるのか。どう始まったのか。その歴史はどのようなものなのか見てみましょう。

▼寿司の起源は東南アジア!? 【なれずし】

すしの起源は、紀元前4世紀頃の東南アジアにさかのぼります。元々は貴重なタンパク質をおぎなう為の、東南アジアの山地民の、米の中に塩味をつけた魚を漬けて発酵させた魚肉保存食であったとされ、高地ゆえ頻繁に入手が困難な魚を、長期保存する手段として発達したものだったという。現在の寿司とは全く違い、内臓を処理した魚を米飯に漬け、米飯の自然発酵によって魚の保存性を高めた食べ物でした。このすしを「なれずし」と呼び、数十日から数カ月たったところで魚をとりだし、食べるのは魚だけ、米は捨てられていたのです。

▼中国大陸から日本へ 【生成ずし】

やがて中国大陸に伝わり、8世紀頃日本にも伝わります。平安時代の頃です。日本人は米飯好きの民族だったので、その後、室町時代頃には、魚だけでなくご飯も一緒に食べる「生成ずし」と呼ばれるすしが盛んになってきました。漬け込む期間が短く、魚と一緒に漬け込まれた米が流状化する前に米も魚と共に食するようになったのです。すしは保存食から料理へと変わるのです。

▼ 押し寿司は江戸時代から!?【早ずし】

ご飯が最初は発酵を助けるためだけであり、貯蔵を目的としていたのですが、江戸時代になると、日本独特のご飯そのものをおいしく食べる「早ずし」へと変わっていきました。自然発酵を待たずに、熱く炊いた米を使って魚を漬け込み、重い錘を載せて発酵を早める技術が考案され、短いときは一夜漬でも食されるようになりました。これが早ずしの原型。そして、短い間に製法が進化し、酢を使うことで発酵させずに酸味と防腐性をもたせるようになり、現在の押し寿司へと発展する基礎となりました。

▼屋台で寿司!?【握りずし】

握り寿司は寿司の中では歴史が浅く、江戸時代・文政年間に考案されたといわれています。19世紀初め頃、東京が江戸と呼ばれていた時代、江戸の町には、屋台を中心とする外食産業が軒を列ねていました。その中で「にぎり寿司」が世に登場しました。江戸前、すなわち東京湾でとれる魚介・のりを使うことから「江戸前寿司」とも呼ばれています。すし商、華屋与兵衛の改良により、そのおいしさ、その簡便さが江戸中の評判になっていったのです。この頃の握り寿司はおにぎりのような大きさであり、食事というよりはおやつの位置づけとなっていたそうです。

▼全国へ普及

明治30年代頃からの製氷のおかげで、寿司屋でも氷が手に入りやすくなり、その後は冷蔵箱だけではなく電気冷蔵庫を備える店も。そして近海漁業の漁法や流通の進歩もあって、生鮮魚介を扱う環境が格段に向上。江戸前握り寿司では、これまで酢〆にしたり醤油漬けにしたり、あるいは火を通したりしていた素材も、生のまま扱うことが次第に増加。種類も増え、大きかった握りも次第に小さくなり、現代の握り寿司と近い形へ変化しはじめました。
1923年(大正12年)の関東大震災により壊滅状態に陥った東京から寿司職人が離散し、江戸前寿しが日本全国に広まったと言われています。

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2013年02月12日