名波 浩 【日本が生んだ天才ゲームメーカー】

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日本代表の中盤を操った天才ゲームメーカーのサッカー人生を振り返る。

https://matome.naver.jp/odai/2135783604857268301/2135783809657370303
名波 浩
1972年11月28日生まれ。静岡県藤枝市出身。
身長177cm/体重70kgジュビロ磐田⇒ACヴェネツィア⇒ジュビロ磐田⇒セレッソ大阪⇒東京ヴェルディ1969⇒ジュビロ磐田

ボランチの位置から長短のパスを繰り出すゲームメーカー。
ラモス瑠偉から日本代表の10番を引き継ぎ活躍した。

●学生時代

西益津小学校4年生時、既に同世代での試合では手に負えなくなっていた名波少年を年長組のチームへと飛び級させる。この頃のポジションは左ウイング。
西益津中学校入学、2年生でレギュラー獲得。3年生で県予選優勝。清水市立商業高校へ進学。
清水商業高校時代は大岩剛、山田隆裕、薩川了洋、望月重良らと共に高校総体、ユース選手権を制覇。
順天堂大学入学。1部残留を辛うじて決め卒業。教員免許も取得。

●ジュビロ磐田入団。日本代表選出!

1995年にジュビロ磐田に入団。入団直後からレギュラーとして活躍し、日本代表入り。ゲームメーカーとして、藤田・中山・ドゥンガらと共にジュビロ黄金時代を築き上げる。

1998年フランスW杯では、アジア地区予選から日本代表として闘う。背番号10を付け、中田英寿と共に中盤を操り、日本を初のワールドカップに導く。
日本の心臓として、本大会でも全試合に先発出場した。


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●イタリア セリエA「ヴェネツィア」へ入団!

1999年、ジュビロで全てのサッカーをやり尽くした感があった名波は、新天地を求め、同年夏にイタリア・セリエAのACヴェネツィアに移籍。
しかし監督が二転三転し出場機会は少なく、クラブもセリエBに降格。24試合1得点。
契約上、クラブが降格すれば退団することが決まっていたため、翌年帰国し、磐田に復帰。


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http://www.youtube.com/watch?v=sBeuMXR6Rpg

●ジュビロ磐田 復帰

2001年に右膝半月板を痛め、手術以降は2002年日韓W杯の日本代表から外れる。
復帰後は、ジュビロの中心選手として活躍。2002年のJリーグ完全優勝に大きく貢献した。

2006年、チームの若返りを進める山本昌邦監督の下で次第に出場機会を減らし、山本昌邦の監督辞任によって就任したアジウソン監督でも状況は変わらなかった。


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●セレッソ大阪⇒東京ヴェルディ1969⇒ジュビロ磐田【引退】

出場機会を求め、最下位と低迷していたセレッソ大阪へ期限付き移籍。
最終的に自動降格は免れなかったが、名波加入前はシーズンでわずか1勝だったが、加入後は入れ替え戦出場を争うまでに調子を上げていった。11月26日の大宮戦で、史上23人目のJリーグ通算300試合出場を達成した。

2007年1月16日、東京ヴェルディ1969へ期限付き移籍。
出場機会にあまり恵まれず不完全燃焼であったことから2007年12月8日に磐田復帰。
2008年シーズン限りでの現役引退。


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2013年01月22日