叱る必要性はあるのか?
人はなぜ叱るのでしょうか。叱る必要性についてかんがえてみたいと思います。
怒ったり、叱ったり。怒ることが論外なのは言わずもがなですが、
叱るということも必要なのか疑問に思います。特に仕事上で叱ることは必要なのでしょうか。
叱る場合は何か悪いことをした場合にしかります。
子供は何も分かっていないから叱りますよね?
だけど、実は子供とて、親との信頼関係が適切に築けていたならば叱らずに済むはずなんです。
先生の言うことは聞けて親の言うことを聞けない子とかいますよね。
大人とてそう。部下上司の信頼関係、これがあれば実は叱る必要性はないはずです。
なにか問題が起きた場合に「どうしてそんなことをするんだ!」と叱る。
でも、そんなことになったのには理由があるのではないでしょうか。
時間が足らない?やり方が不十分?教え方が悪い?
何をとっても結局のところ本人が悪いということです。
ということはその本人の悪いところを指摘して、その治し方を教えてあげるほうが適当ではないでしょうか?
本人の成長ため?正直そんな時代ではありません。
かつてと同じことを教えていては遅れていく一方。同じことをとにかく早く覚えさせた上で、
さらにそれ以上のことをやらなければ意味がない時代です。
つまり、
叱っている時点で遅いということ。
それに、その叱ったこと自体も自分にはない概念の行動や、言動のためあたまにくるわけで、もしかしたら、その別の行動や言動の方が世の先を行っているということもままあります。
じつはそれに気づかせてくれるいい機会ではないかと思います。
ことわざは次の時代へ
叱らない方法の治し方としてことわざを使うというものがありますが、ことわざではことが足らなすぎる現代。ことわざは次の時代に進化してきているのはないでしょうか。
かつての偉人は多くの名言やことわざを残しています。
それを元に現代の問題を学術的研究を経て解決してきました。
もちろん人間関係や、子育て、仕事術に関しても。
それらを容易にネットで調べられる時代となり、
誰でも簡単になんなら電車に乗りながらでも調べられるようになりました。
つまり、この世の中に起きている人間関係や、仕事上の問題は大体解決できるはずなんです。
情報の調べ方さえ知っていれば。
そして調べることができれば、「Aという失敗をした。」「AができなかったのはBが足らなかったからで、Cをやるといい」といえばいいですね。しかもより良いCを探すべきです。
そしてAという失敗は最高最短のCをもともと提供できなかった自分の責任でもあるわけです。
だから、結局親や、上司が悪いわけですね。
叱る必要性はない
そしてAという失敗は最高最短のCをもともと提供できなかった自分の責任でもあるわけです。
だから、結局親や、上司が悪いわけですね。自分を叱ることはできますか?自分にできないことを人にやりますか?自分がそうされてきたからそうするんですか?
それでは何も進んでいっていませんよね?
世の中は日々進歩してきました。それが止まっているということはそれだけで変です。誰もが進歩し続けてきたんです。叱らない世の中で、幸せな世の中を作ることがお金や他人、国に頼らず幸せな生き方が現代人の責務であるといえそうです。
褒める(ほめる)ことは、人間関係の潤滑油
人に重要感を感じさせます。
人の能力を引き出すものにもなります。
女性を口説くにももちろん使えます。
セールストーク、レター、商品紹介や売り込みにも応用が効きます。

http://www.choicetheory.net/kcc/mailmagazine39.html

http://netallica.yahoo.co.jp/news/20130125-00003295-sinkan
どうやら叱る根本には上司や、親、そのほか上に立つ立場の意識の問題もあるようです。


