『ボボボーボ・ボーボボ』作者 沢井啓夫先生が素晴らし過ぎる!!

mrtetu
私ボーボボ全巻持っていますが作者がこんな素晴らしい人だとは知りませんでした。

https://matome.naver.jp/odai/2135485088115917701/2135485283216208103

■沢井啓夫の歴史

2000年 – 前述の通りウンコが主役の漫画でデビュー。

2001年 – 週刊少年ジャンプの『ボボボーボ・ボーボボ計画』に巻き込まれる。

2003年 – ボーボボ計画がテレビの電波に乗ってお茶の間へ届く事態へ発展する。この頃より、PTAの弾圧を受けるように。

2004年 – ギャグ(ユーモア)が思い浮かばないのでヒヨコになった。ちなみに日本語版アンサイクロペディアの君主もヒヨコであらせられる。

2005年 – それまで育てていた舎弟の田楽マンが成人し、一人前の目玉になる。年表05年的中。

2006年 – 自身のゲシュタルト崩壊の危機を顧みず、より危険な実験『真説ボボボーボ・ボーボボ計画』に着手する。

2007年 – 「わが人生に一片の悔いなし」として『真説ボボボーボ・ボーボボ計画』を終了させる。年表07年的中。

2008年 – 自身の新たな方向性を模索する為の実験作『黒梟』を発表。少年誌でありながらジジィが主役のギャグ漫画という異例なジャンルは、土方茂の『CYBORGじいちゃんG』以来である。そしてその半年後『チャゲアス計画』の「チャゲ」を担当し、とんでもない記録を打ち立てる。

2009年 – これはバイバイジャンプと言えるのかどうかは不明だが、「わくわくキッズブック」から『キラリンチョのおばけフェスタ』を発売。

2011年 – 正式にバイバイジャンプし、「最強ジャンプ」にて『ふわり!どんぱっち』連載開始。画風の大幅な変化にファンならずとも驚かせる行為に出る。

出典 アンサイクロペディア様


https://matome.naver.jp/odai/2135485088115917701/2135485283216208203
いくつか沢井先生の伝説を紹介してみようと思う。

ボーボボ計画終了直後、6年間で溜まってしまったファンレター全部に対して返事を書いた。
澤井啓夫 – アンサイクロペディア

PTAの弾圧を受けていた頃、進研ゼミにインタビューが掲載された。
澤井啓夫 – アンサイクロペディア

実は小畑健が水疱瘡で原稿を落としかけた週に、『DEATH NOTE』の作画担当をしたことがある。
澤井啓夫 – アンサイクロペディア

週刊連載の合間を縫って、ボーボボファンである難病を抱えた子供のお見舞いに行っている。
澤井啓夫 – アンサイクロペディア

とにかく腰が低いので、先輩後輩関係無く漫画家の友達が多い。お陰でボーボボ計画のときに大御所漫画家の作品のパロディや、他の漫画のキャラをレンタルしてきても全く怒られなかったらしい。
澤井啓夫 – アンサイクロペディア

デザイン系の大学を卒業後に漫画家を志し投稿を始めたところ2000年に、ウンコを主役に据えたギャグ漫画でデビューした。
澤井啓夫 – アンサイクロペディア

しまぶーこと島袋光年氏を自身を漫画の道に引きずり込んだ師として崇拝し、私淑している。しまぶーがあんなことになってしまった後も、敬意は途絶えることなく、師と仰ぎ続けたらしい。
澤井啓夫 – アンサイクロペディア

爽やかな外見からは想像も付かないほど雄渾な画風と下ネタを臆面もなく言ってのける大胆な台詞回しで人気を博しており、本人はイケメンなのに描いている漫画はキチガイそのもの。
澤井啓夫 – アンサイクロペディア

愛知県豊橋市出身のイケメン漫画家。顔だけでなく、性格も有り得ないくらいのイケメンとして知られている。
澤井啓夫 – アンサイクロペディア

■個人的感想

ボーボボと言えば最後の方は良く遊戯王、ドラゴンボールなどジャンプのパロディギャグが登場していましたが、あれが出来るのは沢井先生の腰の低さと人望があったからなんですね。
今時こんな人当たりの良い人も珍しいのではないでしょうか。
是非、『ふわり!どんぱっち』の繁栄楽しみにしております。
私は今の画は受け付けられませんが・・・笑

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2012年12月07日