我が子は見つかれど、ショベルで捜索を続ける母【石巻・大川小の悲劇】

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北上川の河口にある石巻市立大川小学校の大半の児童と教職員は、地震のあと校庭に避難していたところを津波にのみこまれた。以来、重機の資格をとり、我が子が見つかったあとも捜索にあたる母親の姿があります。義援金の問い合わせは大川小学校(0225-62-8015)まで。

児童を捜し続ける平塚なおみさん

全校児童108人のうち74人が死亡・行方不明

平塚小晴さんが見つかるまで

2011年3月11日、東日本大震災発生。

「はやくおうちに帰してあげたい」と震災翌日からスコップを手に捜索。
asahi.com(朝日新聞社):不明女児の母、重機操り捜索続ける 石巻の大川小 – 東日本大震災

DNA鑑定の結果、小晴さんと判明。2011年10月に葬儀。
心の傷は今も癒えない 東日本大震災、孫を失った比嘉さん夫妻

小晴さんの祖父母の思い

優子さんは「遺体の一部だけでも見つかって…」と声を詰まらせ、春吉さんは「遺体が見つかって安堵(あんど)した。苦しみ、つらさは体験した者でないと分からないが、励ましの声をいただき、必ず明日は来るということを身に染みて感じた」と話した。
心の傷は今も癒えない 東日本大震災、孫を失った比嘉さん夫妻

幼子を2人抱え、捜索活動を続ける娘のなおみさん(37)を思うと、胸が張り裂けそうになる。
「なぜあの子が」と涙 孫が不明 比嘉夫妻(宮城県) – 琉球新報 – 沖縄の新聞、地域のニュース

大川小児童捜索の義援金

問い合わせは大川小学校(0225-62-8015)まで。

捜索にあたる人々に関する記事

津波が襲ったとき、大川小で何があったのか

東日本大震災の津波により多数の犠牲が出た石巻市立大川小学校の事故に関して、公正中立かつ客観的な検証を行うため、第三者による大川小学校事故検証委員会が設置されました。本ホームページは、委員会からのお知らせ、委員会資料などを随時公開します。

関連サイト

https://matome.naver.jp/odai/2135462961393626201
2020年03月02日