前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48
著者
濱野智史。情報環境研究者。著作に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版)。
ブログ情報 – 濱野智史の個人ウェブサイト@hatena
1980年生。株式会社日本技芸リサーチャー。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了、国際大学グローバル・コミュニケーション・センター研究員を経て現職。専門は情報社会論。特にウェブサービスのアーキテクチャ分析を中心的に手がける。著書に『アーキテクチャの生態系』(NTT出版、2008年。第25回テレコム社会科学賞・奨励賞)、主な論文に「ニコニコ動画の生成力」(『思想地図vol.2』NHK出版、2008年)など。
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濱野智史@hamano_satoshi
『前田敦子はキリストを超えた』。挑発的なタイトルだと受け取られると思います。ただ、あとがきでもふれていますが、本書にはキリスト教自体を批判する意図はありません。それは本書を読んでもらえれば分かると思います。とにかく、本当に渾身のマジ論考ですので、ぜひ読んで欲しいと思います。
濱野智史@hamano_satoshi
AKBをよく知らない読者向けにも、AKBのシステムが分かるように体型整理しましたし、どのような形でハマっていくのかについても、できる限り明晰かつ簡潔に記述しています。AKBをよく知らないでバカにしている人ほど(AKBにハマる前の僕もそんな感じでした)、ぜひ読んで欲しいです。
濱野智史@hamano_satoshi
タイトルだけではそう思われても仕方がない思うのですが、内容をぜひ読んでほしいです。必然性があってのタイトルです。もちろん悩みましたが。 RT @gulliverdj そうなるといよいよただのブログPV数稼ぐための釣りタイトルとやってるレベルと変わらないと思うと残念です
濱野智史@hamano_satoshi
ブロマガの連載をベースに、後半は書き下ろしになります。いままで発表した論考もベースにはなっていますが。 RT @okakaz 新刊楽しみにしております。内容はPLANETSのブロマガで連載されているものの書籍化なのでしょうか。それとも別の書き下ろしのものなのでしょうか。
タイトルへの反応
nanari_1992@nanari
『山口百恵は菩薩である』は比喩の問題だけれど、『前田敦子はキリスト教を超えた』は比喩じゃなくなろうとして構文にかかわっている。いずれにせよこうした言葉の戦略の変化自体がAKB的な問題だと思ってみたりしたが、ちがったらちがう。
七里@nanari
「キリスト教を超えた」という標題のスキャンダルは措くとして、素朴な意味の宗教に陥らないのが批評ではないかという疑問のほうが課題だと思う。ネタがマジに、マジがネタに転化されてしまうというAKB的問題(ここでは比喩の失効という観点から指摘した)をどう位置づけるかということですが。
七里@nanari
もう一個比喩が成立しない事例として、ネット上では「AはBだ論」みたいなものが定期的に流行るわけだけれど、あれが「論」として流通して深められたりしていく仕方自体が、つまり比喩というものが理解されてないということだと思う。
ano_ano@ano_ano_ano
『前田敦子はキリストを超えた』というタイトルの方が『前田敦子は仏陀を超えた』よりもインパクトがあるのはなぜだろう?そして『前田敦子は天皇を超えた』という本でも書こうものなら内容と関わり無く大変な騒ぎになるだろうし、さらに『アラーを超えた』だと命の保障が無い。
ano_ano@ano_ano_ano
それでも英語で出版したらただでは済まないような (´・ω・`) RT @uncorrelated クリスチャンの包容力を感じますね。twitter.com/ano_ano_ano/st…
ナょωレよ″丶)ょぅすレナ@rna
ていうかジョン・レノンは「ビートルズはキリストを越えた」って言って大騒ぎになったのだった。 > 8月11日甲虫日記 謝罪会見の憂鬱(1/1) – この日のビートルズ – エンタメ – [どらく] doraku.asahi.com/entertainment/…
ano_ano@ano_ano_ano
しかし『前田敦子はキリストを超えた』というタイトルへの批判は、著者へ向かうべきなのに、あっちゃんへも向かってしまうだろうことが残念だ。あっちゃん何も悪いことしてないのに (´・ω・`)
https://matome.naver.jp/odai/2135282295385956301
2018年12月19日