戦国武将 : 松永久秀
濃いエピソードの数々
爆死だけじゃない!日本で初めてクリスマスを理由に休戦を命じた
松永久秀 – Wikipedia
永禄9年(1566年)、戦況が不利な状況で宣教師からクリスマスの事を耳にした久秀はクリスマスを口実に休戦を提案。相手もそれを受け入れ、日本初のクリスマス休戦が成立したとか。
(ちなみにこの前年に彼は宣教師を追放したりしています。)
鈴虫が三年生きたから自分も125歳まで生きる宣言
鈴虫の寿命は1年だが、久秀が大事に育てたため3年も生きることができた。
人間も養生すれば長生きができると信じていたようです。
自ら子作りハウツー本を著作した。
多趣味です。
仙人が化けた前妻の亡霊にビビる。
仙人果心居士を招き、「自分は戦場でも一度も恐怖を味わった事がない、そなたの術でわしを恐怖させてみよ」とタンカをきり、前妻の亡霊に化けた果心居士に泣きをいれる。
生粋の戦国ヒール。
織田信長が久秀を評して「 常人では一つとして成せないことを三つも成した男」 (注 : 全て悪事)
一つ目は旧主家、三好氏への暗殺と謀略。
二つ目は将軍暗殺。
三つ目は奈良、東大寺大仏の焼討。
将軍を暗殺した男も、大仏を焼いた男も、日本史上ほとんどいないんです。
信長に対して謀反を起こして許される
一度疑いを持ったら二度と許さない男、信長が、久秀に関しては一度目の裏切りを許している。二度目も条件付きで助命しようとするのだが・・・(詳しくは後述)
キャラ得なんでしょうか。
男の散りざま、茶釜に火薬を詰め、68歳で爆死!!
文献上では日本初の爆死
茶釜に火薬をつめ、それに火をつけて爆死したといわれる
茶器のコレクターとして有名だった松永久秀ですが、信長に反逆して敗れ、
名器「古天明平蜘蛛」(こてんみょうひらぐも)を差し出せばゆるす、と言われるも
それを拒み茶釜と心中を選んだ。
松永久秀の全くブレない時世の句
この平蜘蛛の釜と俺の首の二つは やわか信長に見せさるものかわ
2月30日。 ▼これでおしまい―歴史に名を残す人物たちの辞世、最期の言葉(加来耕三)
ものすごい情念を感じますね。おもいっきり信長って言ってるし。
このあと自爆します。
現代で活躍する松永久秀の子孫
マンガやゲームでの評価
倒すと自爆します。
ものすごい蜘蛛推しですね。
イヤなスパイダーマン。
関連リンク

https://matome.eternalcollegest.com/post-2141701659898140801
久秀が利用し尽くした主君、三好長慶。
兄弟揃って薄幸です。。。
永正7年(1510年)に生まれとされるが、前半生には不明な点が多く確証はない。
1577年10月10日に日本発の爆死を遂げる。
裏切り、暗殺など悪逆の限りをつくすが、連歌や茶道に長けた教養人であり、領国に善政を敷いた名君として、現在でも知られているという一言ではくくれない人物である。