【テニス】男子シングルス 錦織圭 イケメン画像集

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錦織 圭(にしこり けい、1989年12月29日 – )は、島根県松江市出身の男子プロテニス選手。IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミー所属。開星中学校、青森山田高等学校を卒業している。身長178cm、体重70kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
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5歳からテニスを始め、2001年に全国小学生テニス選手権大会で優勝。2003年、IMGニック・ボロテリー・テニスアカデミーに日本テニス協会会長・盛田正明が運営する「盛田正明テニス・ファンド」対象選手となり留学するため渡米。以降アメリカ合衆国フロリダを活動拠点としている。
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2003年は「オレンジボウル選手権」14歳以下の部で準優勝。2004年には男子ジュニア国別対抗戦のジュニア・デビス・カップに三橋淳・喜多文明と共に日本代表として出場。前年大会では11位だった日本を過去最高の5位入賞に押し上げた。2005年には10月の世界スーパージュニアテニス選手権大会でジェレミー・シャーディとの準決勝まで進出。この大会では三橋淳と組んで出場したダブルスでも準決勝まで進出し単複ベスト4の成績を収めた。
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2006年はピーター・ポランスキー(カナダ)と組んで出場した1月の全豪オープン男子ジュニアダブルスでベスト4進出の好成績を収めるとエミリアノ・マサ(アルゼンチン)と組んで出場した6月の全仏オープン男子ジュニアダブルス部門で、日本男子史上初の4大大会ジュニアダブルス優勝の快挙を果たした。なおこの大会では男子ジュニアシングルスでも8強に入っている。また、この大会の男子シングルス決勝に進んだラファエル・ナダル(スペイン)が、決勝前日の練習相手に仮想ロジャー・フェデラー(スイス)として錦織を指名し話題を呼んだ。
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ジュニアサーキットと並行して本格的にシニア大会にも出場するようになり、この年はフューチャーズ大会で1優勝、2ベスト4の成績を収め、シングルス年度末ランキングを603位で終了。この時点で日本人選手10位につけており、既に日本トップ選手の一人となっていた。
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3月のマイアミ・マスターズのダブルスに、主催者推薦で元シングルス世界ランク1位のグスタボ・クエルテン(ブラジル)と組んでツアー初出場。また、同大会のジュニア部門として開催されているルキシロンカップに第4シードで出場し、決勝でマイケル・マクルーンを6-7(2), 6-4, 6-1で破り優勝、またこのマイアミの直前と期間中の約1週間、ロジャー・フェデラーの練習相手を務めた。4月にはアメリカ・ヒューストン大会シングルス予選でツアーシングルス予選初出場。ここでは予選1回戦でトラビス・パロットに3-6, 5-7のストレートで敗れた。5月にはノーシードで出場したLAテニス・オープン・USTA男子チャレンジャーシングルスで自身初のチャレンジャー大会決勝進出を果たし準優勝。予選から出場した7月第2週のLAテニス・オープンシングルスでは見事予選を勝ち上がり自身初のツアーシングルス本選出場。ここでは1回戦でウェスリー・ムーディ(南アフリカ)と対戦し、3-6, 2-6のストレートで敗れた。更に翌週インディアナポリスで行われた「RCA選手権」シングルスでも予選勝ち上がりで本戦出場を果たし、1回戦でアレハンドロ・ファジャ(コロンビア)を6-4, 6-3で、2回戦でミヒャエル・ベラーを6-3, 3-6, 6-1のフルセットで下し、日本人男子史上最年少のATPツアーシングルスベスト8を決める。続く準々決勝では当時世界ランキング27位、大会第3シードののドミトリー・トゥルスノフ(ロシア)と対戦し、1-6, 4-6のストレートで敗れた。この活躍により翌7月第4週のレッグ・メーソン・テニス・クラシックではシングルス本戦SEを与えられ本戦出場。2回戦のジュリアン・ベネトー戦まで進出した。8月には全米オープンでグランドスラム予選に初挑戦。ここでは予選2回戦でビョルン・ハウに2-6, 4-6のストレートで敗退。9月のチャイナ・オープンシングルスでも予選を勝ち上がり本戦出場。1回戦で当時世界ランク12位、大会第4シードのイワン・リュビチッチ(クロアチア)に3-6, 4-6のストレートで敗れた。同月29日に日本に帰国し記者会見を行い、翌10月1日付でのプロ転向を発表し、17歳9ヶ月でプロ転向[2]。翌10月のジャパン・オープンでプロデビューを果たすが、この大会はシングルス、添田豪と組んだダブルス共に1回戦で敗退した。

2月17日、錦織はアメリカ・フロリダ州デルレイビーチでの「デルレイビーチ国際テニス選手権」で予選から勝ち上がると、初進出の決勝で当時世界ランキング12位、第1シードのジェームズ・ブレーク(アメリカ)を 3-6, 6-1, 6-4 で破り、ツアー初優勝を達成した。日本人男子選手のATPツアー制覇は、1992年4月に「韓国オープン」を制覇した松岡修造以来16年ぶり2人目の快挙となった。
4月に男子国別対抗戦デビスカップ「アジア・オセアニアゾーン」の「グループ1」2回戦で、日本はインドと対戦し、日本男子のトップに立った錦織が初めて日本代表に選出された。4月28日、錦織は世界ランキングで99位に浮上し、日本男子としては1996年8月まで2けた順位だった松岡以来の世界ランキング100位以内に入った。
全仏オープンでは予選2回戦で敗退するが、ウィンブルドン前哨戦のアルトワ選手権では3回戦まで進出し、当時世界ランク2位のラファエル・ナダル(スペイン)と対戦、4-6, 6-3, 3-6と負けはしたものの、ナダル相手に1セットを奪う健闘を見せる(試合後、ナダルは「彼は数年後には世界ランク10位、いや5位に食い込んでくるだろう。100%間違いない」とコメントしている[3])。ウィンブルドンで初のグランドスラム本戦ストレートイン(直接出場)を果たす。マルク・ジケル(フランス)との1回戦では、1セット・オールから腹筋の痛みを訴え、途中棄権による敗退となった。
6月末には、かねてから日本テニス協会が申請していた北京オリンピック推薦枠での出場が認められ、オリンピック初出場を決めた。男子シングルスの日本人出場は、アトランタオリンピックの松岡以来12年振りとなる[5]。 オリンピックでは、1回戦でライナー・シュットラー(ドイツ)に、4-6, 7-6, 3-6 で敗退した。しかしこのとき、第2セットを一時0-5とされながらもセットを取る、という驚異の粘りを見せた。
全米オープンでは世界ランク32位、第29シードのフアン・モナコ(アルゼンチン)を途中インジャリータイムをとりながらも6-2, 6-2, 5-7, 6-2で破り、2005年の鈴木貴男以来の日本人4大タイトル一回戦突破となった。続く2回戦はロコ・カラヌシッチ(クロアチア)を相手に2セット先取の後に相手選手棄権で突破、日本人では神和住純以来の男子シングルスでの3回戦進出となった。3回戦では当時世界ランク4位のダビド・フェレール(スペイン)を相手に6-4, 6-4で2セット先取、その後4-6, 2-6と2セットを挽回されるが、第5セットを7-5で奪い、勝利を挙げた(錦織は、試合後に「自分の体力を考慮し第4セットは捨てた」と語っている)。日本人では1937年の山岸二郎・中野文照以来(当時は全米プロとアマチュア用の全米オープンで分かれていたので完全にオープン化してからは日本人初)の男子シングルスでの4回戦進出となった。しかしベスト8をかけて戦った4回戦では、アルゼンチンの新鋭、19歳のフアン・マルティン・デル・ポトロに3-6, 4-6, 3-6とストレートで敗北し、95年の松岡以来となるグランドスラムベスト8入りを逃した。
その後、日本に凱旋した錦織は、AIGオープンに出場、1回戦でランキング102位のロバート・ケンドリック(アメリカ)を7-6(3), 6(5)-7, 6-2のフルセットで、2回戦でランキング60位のギリェルモ・ガルシア=ロペス(スペイン)を6-4, 6-4のストレートで破り、今大会2回目の出場にして初めて3回戦に進出。3回戦ではフランスの世界ランク13位リシャール・ガスケと対戦。試合後のインタビューで「(相手を)尊敬し過ぎていた」と語るほど[7] 終始相手に圧倒される展開となり、1-6, 2-6と大敗を喫した。翌週に出場したストックホルム・オープンでは棄権を考えたほどの連戦の疲労から1~2回戦共に不安定な試合運びを余儀なくされたものの、3回戦では対戦相手のマリオ・アンチッチ(クロアチア)が試合前に棄権する幸運にも助けられベスト4に進出。

全豪オープンは一回戦で第31シードユルゲン・メルツァーに敗退(5-7, 2-6, 1-6)したが、大会後に発表された2月2日付のランキングでは自己最高となる56位を記録した。 2008年度のATPワールドツアー最優秀新人賞(Newcomer of the Year)を受賞。なおこの賞はATPツアーに参加している全選手の投票による。 5月、右ひじの疲労骨折が判明し、6月開幕のウィンブルドン選手権、8月開幕の全米オープンと連続して欠場した。また同8月には右肘の内視鏡手術を受け、残りのツアーを欠場。

前年の怪我が長引き年初を棒に振り一時はランキングを失ったが、復帰後は下部大会で好成績を収め順調にランキングを回復。 4大大会では、プロテクトランキングを使用して全仏オープンに繰り上げでストレートインを果たし初出場。初戦でサンティアゴ・ヒラルドを2セットダウンからの逆転で下したあと、2回戦でノバク・ジョコビッチにストレートで敗れた。 全仏後はクイーンズの大会に出場したが、初戦でリシャール・ガスケに敗れた。 ウィンブルドンには主催者推薦で出場。優勝したナダルに初戦でストレート負けした。 その後全米オープンに予選から出場、見事に突破し2年ぶりの出場を果たし、2回戦で第11シードのマリン・チリッチを5-7, 7-6, 3-6, 7-6, 6-1で4時間59分の激闘の末破った。 東京で行われた楽天オープンでは初戦でビクトル・トロイツキに敗北した。

https://matome.naver.jp/odai/2134390532430798701
2013年01月05日